《有難い 自分で変わる 我が事は》

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 人は手を使う動物です。その修練として日常の箸使いが機能しており,総体的な日本人の器用さを生み出してきました。ある有名な外国の音楽家が,日本人の箸使いを見て,手の器用さの原因が分かったと語ったそうです。
 ところで,外食をする際には割り箸を使いますが,なぜ割り箸というのでしょうか? パチッと割って使うからと,ほとんどの人が思っていることでしょう。実は少し違うのです。元々お箸はすべて割り箸と呼ばれていました。ヒノキやスギの枝,竹などを割ってつくった箸だからです。
 江戸で大繁盛しているうなぎ屋がありました。そのことをねたんだ同業者が「あの店は箸が汚い」という噂を流しました。その噂が広がってお客が減ってしまい,主人は困ったあげく自分にできることはないかと知恵を絞り,割って使う形の使い捨ての「引き裂き箸」を考え出しました。これがきれい好きな日本人に受け,割り箸として定着したのです。
 いわれのない言いがかりで蹴落としたり,見えないところで偽装するといったアンフェアな競争を仕掛けられることが,自由主義社会で往々にして起こります。そういう場面に遭遇したら,相手に中止を促す手立てを講じることが必要です。しかし,いったん流布した噂を消去することは不可能です。残された対策は箸が汚いという悪い噂を,箸がどこよりきれいだという良い評判で書き換えることです。
 他人のことはどうこうできるものではありません。できるのは自分のことしかなく,自分が変われば事態は変わります。ところが,相手が挨拶をしないから,こちらも挨拶しないといった例に見られるように,他人のせいにする言質がまかり通っているようです。立ち入り禁止の埠頭で吊りをしている人が,そのことを咎められると,みんなしている,なぜ私だけにと言い逃れようとします。自分にできることを出し惜しみしないことが真っ当に自立した生き方のはずです。
 ピンチをチャンスに代えるためには,ピンチから逃れようとしたり、ピンチに立ち向かおうとしたり,ピンチに捕らわれることはやめにします。ピンチになった自分を離れて、ピンチに無関係な新たな自分に変わっていけばいいのです。箸が汚いと言われたからといって箸をよく洗おうとするのではなく,洗わなくていい箸にすればいいのです。そのことに学ぶのです。

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(2020年11月22日:No.1078)