《有難い 境あるから 安心が》

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 人と対面するとき,先ず顔を確かめ合います。誰かという確認には必須の認識です。ところで,顔は頭の一部ですが,その顔と頭の境界はどうなっているのでしょう? 鼻の付け根から眉毛を通って耳の穴に達する曲線を引いて,その線より上が頭,下が顔だそうです。なんとなく分かったような気になりますが,まだ疑問が残ります。境界となっている眉毛はどちらでしょう。普通に考えると,眉毛は顔です。物事を区分けするときに線を引きますが,線自体の帰属が見落とされがちです。
 暮らしを管理している時間には,午前と午後という区分があります。切り替え点は0時と12時です。0時は年越しのカウントダウンでおなじみのように,一日の始まりで午前です。では正午は? 境界ですからどちらにもなり得ますが,12時ちょうどは午前ということになっています。
 境目と言えば,海と陸の境界もあります。悩ましいのは,海は満ち引きがあることです。年間の満ち潮でこれ以上は絶対に海水にかからない境界が、陸の境界です。一方で,領海という海の境は,引き潮でこれ以上は陸が現れないという位置が境界になります。海水に浸かることがあるところは陸ではなく,土地が現れるところは海ではないことになります。満ち潮と引き潮の間の所は,波打ち際ということでしょうか。
 暮らしの中で起こるもめ事も,線引きをしなければなりません。多数決という便法では,五分と五分になると決着がつきません。議会では議長裁決ということで切り分けていますが,その際「現状維持の原則」という保守の指針があります。刑事訴訟における裁判官にも,「疑わしきは罰せず」,「疑わしきは被告人の利益に」という原則があります。
 人間関係において,明らかに一方が理不尽であるトラブルでは是非の判断に迷いはありませんが,どちらの言い分もそれなりの理があるときには,判断が難しくなります。人間らしさという尺度では,少数であったり弱い立場にある人に境界の分を適用することが妥当でしょう。あらゆるハラスメントの背後にいる強い者に巻かれないための擁護の切り札です。
 人には自他を分ける境界があります。親密さの度合いで,その広がりは変化します。愛する者同士なら密着できるほど境界が曖昧ですが,見ず知らずの人とはそれなりの距離を取ります。コロナ禍の下では、フィジカルディスタンスという距離を境界領域にします。人は人間と言いますが,間が大事なのです。取り方を違えると,それは「間違い」になります。

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(2020年11月29日:No.1079)