《有難い 違いは量で 質じゃない》

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 普段の暮らしの中で,人は迷うことが多々あります。どちらを選ぶべきか,という局面に遭遇するからです。状況を見届けるために,分けるという手続きで分かろうとします。分けることで整理することができ,理解することができます。
 川の岸を分けると右岸と左岸とがあります。その左右は川を見る視線の向きによって逆になります。そこで,川下に向かって見ているときの左右と決まっています。鉄道のトンネルは両開きですが、出入り口はどうなっているのでしょう? 入口で待っていますといった場所を指定しなければならない場合は困ります。下り列車から見たときの入口と出口という風に決まっています。起点に近い方が入口なのです。
 筑紫の国が筑前と筑後に分かれました。その前と後はどういうことで決まったのでしょう。越前や越後という国もあります。また、上総と下総という上下もあります。前後や上下には起点があります。都を起点として,都に近い方が前であり上というわけです。この近い方には,陸路に限らず,海路も絡んでくるので厄介です。中国地方という呼び方があります。京都や奈良が近国で、九州が遠国であり,その間である中にある国だからです。
 雌雄を決する,白黒を付ける,進退を明らかにするといった局面に出会うことがあります。そこで必要になるのが起点です。争い事については憲法及び法律が持ち出されますが,その明文の起点となるプリンシプルは,自由・平等・博愛といった理念になります。
 場所については,起点を決めてしまえば前後左右上下という空間の認知は誰にでも明らかです。ところが,世情のことは起点が1つではなく,自由・平等・博愛と3つあります。悩ましいのは,この3つの自由・平等・博愛の配合比です。どれか1つを100%にすることはできません。単純に3分の1ずつというわけにもいきません。どのようなさじ加減が最適なのでしょうか?
 光の三原色と同じように,自由・平等・博愛の配合度合いによって文化という彩りの価値観がそれぞれの人間集団に生まれていました。ところが,国際化という人間関係の拡大が急激に進んできたために,摺り合わせが間に合わずギクシャクすることがあります。結果として,自分ファスト主義への反動が現れてしまっています。自由を大きくする文化圏と平等を大きくする文化圏とでは,摩擦が生まれるのは当然です。

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(2020年12月20日:No.1082)