《有難い 持ちつ持たれつ 生きていて》

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 チョウチョ チョウチョ 菜の葉に止まれ。コロナ禍の寒い冬を早く抜けて,チョウチョが舞い飛ぶ穏やかな春を迎えたいものです。ところで,蝶々はどうして,何のために菜の葉に止まるのでしょうか? 「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」(稲垣栄洋著・草思社)という本に,この疑問に対する論考があります。
 モンシロチョウはアブラナ科の植物に卵を産み付けるために,葉から葉にとまり渡りながら,足の先端で葉から出ているカラシ油配糖体を目印としてアブラナ科の植物を探します。さらに,一つの葉に一粒の卵を産み付けて,餌の葉が不足することを避けているそうです。賢いですね。
 一方で,植物の方は食べられないように,有毒物質を体内に用意して防御策をとります。昆虫はその有毒物質を無毒化する対策を発達させます。たまたまそれに成功した虫はその植物を餌にすることができますが,他の植物の毒は危険なので,特定の植物しか食べなくなります。アブラナ科の植物が出すカラシ油配糖体は毒性物質ですが,モンシロチョウには餌の目印になっています。生きるというのは,壮絶な駆け引きです。
 この植物と青虫の関係に人が割り込んでいくと,青虫を害虫として駆除します。モンシロチョウは次世代を失い激減します。結果として,植物の方はモンシロチョウによる受粉を受けられなくなり,共倒れになっいぇしまいます。人は効率という名分の下で自らの環境である微妙な生態系のバランスを配慮を欠いて壊していきます。人が自らの生きる権利だけを考えていては,自らが依存する居場所を失うことになります。
 持ちつ持たれつのお互い様であるということが,人間関係に止まらず,生きる上で必須である環境との適切な関係を維持する原則となります。人が自然と共存することを必至とするのなら,虫食いの作物を食べる優しさが必要になるということでしょう。虫も食わないモノを食べていることがどういう状況であるのか,気づかないでいる行く末は果たして明るいのでしょうか?
 人は地球という環境を変えてしまう力を持っています。自然がおかしくなっていることに感づいて,SDG'sという目標を掲げることになりました。環境の変化は新しい勢力を産み出します。その一つ例が新型コロナウイルです。目に見えない環境に新たに芽生えたものに遭遇して,人は良い関係を結ぶことができない混乱状況に陥っています。発展という変化が必要であるのであれば,環境が追随できる緩やかなペースにすべきです。
 持続可能な発展とは,技術的な発展ではなく,生態環境が適応できる発展であると認識をした方がよいようです。

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(2021年01月10日:No.1085)