《有難い 身近な言葉 思い受け》

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 貨幣がない時代には,人々は物々交換によって生きるために必要な物を手に入れていました。その際には仕来りがありました。自分の方が多く取りすぎていると思ったときは,受け取った物の一部を返していました。釣り合いをとることを大事にしていたのです。その名残が釣り銭という言葉になっています。釣りとは釣り合いという意味だったのです。
 漁師たちが獲った魚を分けるときに,一人当たりの分け前を当たり前と言っていました。分配が不公平になるともめるので,皆が納得する分け方が行われました。そのことから,ごく当然,ごく普通のことを指して当たり前というようになったそうです。当たり前とは平等であるということになります。
 坂本竜馬が海援隊をカンパニーと言っていたようですが,その頃には未だ会社という言葉はありませんでした。明治のジャーナリストである福地源一郎が,公である社会に対する私の組織だからと,社会をひっくり返して会社という言葉を考え出したそうです。会社は私利追求をする存在ですが,社会は会社に関する法律を制定し,社会に適合する存在に変えているのです。
 明治29年に施行された民法の第1条には,「私権は,公共の福祉に適合しなければならない。権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。権利の濫用は,これを許さない」とされています。自由に対する義務の付与です。
 お互いによかれと思って暮らしてきた庶民の知恵が,私たちが普段に使っている言葉の端々に埋め込まれています。ことある毎に人権の啓発がなされていますが,私たちが受け継いでいるはずの信義に気付いてもらうことなのかもしれません。
 流行語として選ばれる言葉たちにも,その年の思いが込められていますが,普段の暮らしをキリッとさせる力を保っていくものになるのは難しいことでしょう。日本語という伝統の中に生きているから,分かり合えて助け合える暮らしが可能になります。そこに日本という文化が営まれていきます。

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(2021年01月24日:No.1087)