《もの一つ 無くして気付く 習い性》

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 以前,隣組の世話役が回ってきたことに触れたことがあります。一年間の任期を終え,引き継ぎも済ませ,ヤレヤレという気分が日毎に静かに薄れかけています。最近,家を出るとき,玄関脇に目が行き,そうだったと思い直すことが続いています。
 一年の間,行政からの文書受け取り用として透明な箱を玄関脇に置いておりました。7つの班に回している回覧板の回収箱としても利用してきました。毎日何か連絡書類が入ってないか,回覧板が返ってきてはいないか,玄関を出るたびに箱を確認することが習い性になってしまったようです。今もそれが続いているのです。代わりに置いているワニの人形が,「また見た」と笑っているようです。
 毎日繰り返し何かに気を付けていると,それがごく自然にできるように慣れていきます。習い事というのは,その性質を利用しています。日頃の生活についても良いものを繰り返すということを心がけたら,意識することなく良いものを身につけられるはずです。人の性はそういったものの総合でしょう。「継続は力なり」という言葉が色紙に書かれているのをよく見かけますが,「継続は人なり」と言うこともできそうです。
 子どもを育てるには,ほめて育てるようにアドバイスされます。子どものよい点を見ようと気を付けているうちに,やがて意識することなく,よい点だけを見るような癖がついてくるはずです。その癖は子どもだけではなく,周りの人を見る目にも習い性となって及ぶことでしょう。若い人より親の経験者の方が温かい目を持っているのは,子育ての体験から身に付けた良い習慣のせいです。
 世間の冷たい目があります。人のアラを探し回って言いふらして葬り去ろうとします。悪いことをしたら許さないという正義感は大切です。最近のマスコミ報道はその色が強いようです。それに慣れてくるのが恐いという印象を持ちます。マスコミが背負っている役割は,個人のものとは違います。個人的な世界では,冷たい目は後回しにした方が賢明です。
 慣れが恐いという戒めがありますが,そこには人は慣れるものという前提があります。何に慣れるか,しっかりと見定めることです。普段どんな人とつきあっているかということも,そのグループの意向や価値観に対して慣れを生みます。それが染まるということです。同じ染まるなら,いい人と同じように染まりたいものです。いい人,それは余計な詮索はせずに,良い面だけに気付こうとすれば,傍にたくさんおられます。もちろん,自分に都合の良い人とは違うことは当然です。

(2002年04月28日号:No.109)