《胸に差す バラ一輪で 気配消す》

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 庭にどんぶり大の真っ赤なバラが10輪ほど咲き揃い,伸びきった枝は重そうにたわんでいます。開け放したガラス戸が大きな額縁になり,明るい気配を感じさせてくれます。
 花のある人という言い方があるように,人にも雰囲気があります。身近に経験するのは,組織の昇進のケースです。ある人が例えば部長になったとき,当初はどこか頼りなげですが,しばらくすると不思議に部長らしい風格が漂うようになります。
 組織が求める能力を体現するといった形なのですが,必ずしもその人個人のものではないかもしれません。つまり,地位を鼻にかけるという言い方も,その辺りのズレを感じるためです。また,一介の個人として対応していても,ある社会的な地位にいることを知った途端に態度が豹変することもあります。人の雰囲気は多分に借り物であるということでしょう。
 多くの場合は,それなりの振る舞いを身につけることで,大過なくという結末を迎えることができます。定年で退職した方がそのことを一番実感するときは迎えの車がなくなったことと述懐しています。人はポジションという借り着を纏っていることを忘れ,自分のものと錯覚する弱さがあるようです。
 役場の応対が住民に冷たいという批判が一般的ですが,職員が意識の底で役場を自分の場と勘違いしているからです。訪れる住民を責任のある態度で迎えようという気持ちは大切ですが,その責任感が高じて役場という場を自分の場と思いこむときに冷たさを醸し出します。
 人は他人の発散する気配には敏感ですが,自分がまき散らしている気配には鈍感です。公共の場所で我が物顔に携帯電話でしゃべりまくる人も,場所柄を弁えていませんが,自分の我が儘という気配に無頓着なのです。
 武士の世界に殺気立つという気配がありました。殺気を発すると相手も対抗上殺気で応じます。人づきあいの上手な人は,自分の雰囲気を優しく保つことができる人です。肩肘張っている人は人を寄せ付けません。人のせいではなくて,自分の雰囲気が人を変えているのです。身繕いとは着る物への気配りだけではなくて,自分の雰囲気を見直すことでなければなりません。
 酒に弱いので宴席ではどうしても落ち着きません。自分の座っている座が,場違いになることをおそれるからです。こちらは陽気な場を楽しんでいるつもりでいるのですが,酒を酌み交わすという接点が持てないために,いつの間にか浮いてしまいます。せめて会話だけでもと思い,話を聞く姿勢だけは心がけています。宴席ではどなたも話したがるので聞き手が少ないという事情が幸いして,なんとか自分の気配を埋め合わせることができています。気配とは難儀なものです。

(2002年05月05日号:No.110)