家庭の窓
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室町時代から使われている気の薬という言葉があります。気の保養になるとか,面白いといった意味で,精神衛生上の薬ということです。そこから逆に,自分の心を痛めることや困惑することを気の毒というようになり,恥ずかしいことやきまりが悪いことも表すようになりました。
やがて,他人の苦痛も自分の気持ちを傷つけるということで,他人に同情する言葉に変化し,他人の気持ちを自分に反映する優しい言葉になりました。ところが今では,自分の気持ちを切り離し,他人の気の毒を言い表すようになっています。
正月に飾るダイダイはその家の血統が代々続くという意味があります。また,数の子はニシンのアイヌ語カドに由来してカドの子の変化したものといわれています。語呂合わせで二親(ニシン)から多くの子どもが生まれるとの縁起を担いで,多産,子孫繁栄を意味しています。命のつながりを願う風習が,年頭に命の大切さを人の心に刻んできたのでしょう。命に対する尊厳が揺らいでいる今,言葉の力を思い起こしたいものです。
あるところで花の栽培を子どもたちに依頼する活動をしていました。趣旨を説明する際に,花が選ばれた理由として花言葉が活動に相応しいからと紹介をしていました。そのことを聞いた子どもが花言葉に関心を持って図書館で調べてみようと思うかもしれません。近くの図書館に行って,花言葉の本を十数冊開いてみました。ところが,紹介された花言葉はどこにもなく,違ったものが並んでいました。いくつかある花言葉の中には,活動に相応しくない言葉も上がっていました。子どもはどう思うだろうかと気になりました。
言葉は第一義的には名付けとしての意味があります。二義的に,花言葉のように連想が追加されていきます。男,女という第一義的に性別を意味する言葉が,役割分担という連想を引きずってしまうと,時代の変化という現実とのずれが生じます。連想は使われている今現在の受け手によって決まるからです。言葉遣いでは,話し手の連想は聞き手の連想とは違うことがありうるという気遣いをお互いにする必要があります。
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