《有難い 未だ言葉が 健在で》

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 「二の句が継げない」という言い回しがあります。平安時代に流行った雅楽の朗詠は詩句を三段に分けて歌い,一の句で低音域,二の句で高音域,三の句で中音域になっています。二の句は高い音を出し続けなければならず,声を出せない状態を表すようになりました。はじめは驚いたとき,呆れたときに使われていましたが,次第にやり込められたことを指すようになりました。
 「二の舞」という言葉もあります。奈良時代に流行った伎楽という仮面劇で,安摩という舞いがあり,二人の舞人が優雅に舞います。その舞いが終わる寸前に二の舞が始まり,老翁と老婆が真似るのですが,上手く舞えずに笑いをかいます。人の真似をして失敗することを二の舞と言っていましたが,伎楽が消えて言葉だけが残り意味も前の者の失敗を繰り返すことに変わってしまいました。
 かつて内閣府が「男女共同参画社会に関する意識調査」を行った際に,「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」という考え方に対して賛否を問う設問をしました。賛成の割合は20代では63%、30代では59%となっていました。その記事に出会ったとき,二の句が継げない思いをしたものです。
 「子どもを持つ必要はない」という設問文が気になりました。必要であるとかないということで考えられているとしたら,子どもは親をどう思うだろうかと気になったのです。子どもが欲しいという願いが成熟した人の思いであったはずですが,いつの間にか世間の子ども観が二の舞を演じているような気がしました。
 かつては2枚目であったと勝手に思い出していますが,この言葉の2はお芝居の看板で1枚目は座長,2枚目は若い主役の役者の絵看板であったことに因みます。3枚目が滑稽な脇役役者です。一つずれています。最近のテレビの世界では,2枚目よりも3枚目のお笑い芸人さんがもてはやされているようです。カッコいい2枚目には近寄りがたい,3枚目にある親近感がもてはやされているのでしょうか。
 言葉は生活に根っこを持っているので,世代を超えた時代の流れを経てくると,意味をつないでいる根っこが外れて浮いてしまうようです。かろうじて新たな意味をくっつけられた言葉だけが,生き残ってきたようです。テレビ時代からネット時代に変わっていくと,言葉の選別が進んでいくのでしょう。ただ心配なのは,日本人の人口が減少している先には,日本語自体が消えていくことになるのでしょう。ずーっと先のことでしょうが?

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(2021年03月07日:No.1093)