《有難い その日暮らしの 慎ましさ》

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 「銭を拾うのはうれしいものだ」と聞いた良寛さんは,試してみることにしました。銭を放って拾ってみる。何度繰り返しても,ちっともうれしくありません。人はいい加減なことをいうものだと思いながら,もう一度遠くへ放ってみました。勢いのついた銭は転がって,どこかへ行ってしまいました。慌てた良寛さんは必死に探し回りました。ようやく見つけたとき,なるほど銭を拾うのはうれしいものだと思ったとか。
 「うなるのは嘘だが金はものを言い」という江戸川柳があります。金の力というものは,古代から人の関係に密接に絡んできました。法の世界の実際面でも,金銭判決の原則がローマ法に源を発して続いています。民事的に責任を取るという場合,元通りに戻せとか,代わりを差し出せとか,誠意を見せよとか,いろいろな要求があります。しかし、金銭というものに託して,支払うことによる事態の収拾が現実的になっています。
 「金の切れ目が縁の切れ目」といいます。人と人の縁が切れたところで,傍若無人の振る舞いが発生します。人を人と思わない不祥事が起きたとき,当事者の社会人意識のゆがみを明らかにし正していく世間の風が吹くことになります。女性の参加する会議は弁えない発言によって長引くとか,肥満型の女性タレントをピッグに仕立てるという発想を持ち出すとか,民族の名前を動物に絡めた謎かけでおもしろがってみたりとか,このところ人に対する敬意を失い自らの品位を下げる言動が,世間から糾弾されています。
 「金は天下の回りもの」です。今は貧しくとも,努力をすればいつかは自分のところにも回ってくるそうですが? 昔の天下とは違って現代の天下は地球規模に膨らんでしまっていますので,なかなか回ってきません。人の住む空間が身近な地域から国際化へと急拡大しているということは,井戸端会議的な発言のつもりでいても広い天下で公言していることになっているのです。気心の知れた仲間内という世間は,誰が聞いているか分からない想定外の世界に直結しているのです。ご用心。

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(2021年03月21日:No.1095)