《有難い ブレーキ効いて 安全に》

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 本田宗一郎氏は,「ブレーキは車を速く走らせるためにある」と語ったそうです。スーパーマーケットのワゴンカーにはブレーキは付いていません。「この車は素晴らしいスピードがあり,乗り心地も快適です。ただし,ブレーキは付いていません。走らせてみませんか」といわれても,乗る人はいないでしょう。
 国連の試算では,OECD主要国並みの生活をするためには,地球人口は35億人を超えてはならないとされていました。既にそのリミットは過ぎています。制限を超えたらブレーキをかけなくてはなりません。先進諸国がエネルギーや資源の使用量を減らして,その分を途上国へ回すことしかありません。今まで通りの暮らしをしながら,資金だけを援助して,途上国の生活向上を計るのは,ブレーキのない暴走行為です。
 かつてパリ市で子どもの給食費を親の収入によって違える制度が採用され,高収入の親から高い給食費を取りました。平等でよい制度だということですが,差別と受け止める人もいます。あなたの親は貧乏だから給食費を特別に安くしてあげるというのは,公平でしょうか,差別でしょうか。
 ハンディキャップという考え方は,日本では馴染みがありません。例えば,ボクシングは重量制ですが,相撲は巨漢も小兵も対等に戦います。ハンディキャップをいたわりと読み替えると,いたわられることが公平であるとは思われないことがあります。ハンディキャップは便法にすぎず,真の公平を考える時かもしれません。
 人がさまざまな活動をする際には,リズムを刻みます。例えば,日中はアクセルを踏んで活動をしますが、夜半にはブレーキを踏んで休眠をします。この休眠は活動をしない無為の時間というのではなく,その間に新しい状況への心身における下準備をしています。活動と休眠のリズムを刻むことで人は日々変わっていきます。子どもは育っていきます。外界との絡みの進歩状況に応じた変身,例えば脳細胞の新たな機能への組み直し,が休眠中に行われているのです。
 社会がアクセルだけで動く日進月歩の状態で,今のようにめまぐるしく変化していると,人はついて行けなくなります。かつては世代間でギャップがある程度の変化スピードでしたが、今では一年毎のギャップになって,とても人はついて行けなくなっています。情報社会と言われていますが,そこは人を置き去りにしています。いいかえると,人はアクセルしかない社会と不適合を起こしています。ブレーキをかけるような出来事が起こることを待つことにしましょう。

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(2021年04月04日:No.1097)