《有難い たまの間違い よい気付き》

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 蛙の子は蛙。子どもは親に似るものだから,親は過ぎた期待はしない方がいいということわざです。ところが,よその子をほめるときに使ってしまう間違いがされてしまうことがあります。娘十八番茶も出花。元は鬼も十八,番茶も出花です。鬼の娘でも娘盛りには見栄えがするし,摘み残しのお茶でも入れ立ては美味しいということわざです。ところが,よその娘さんをほめるときに使うという間違いが起こることがあります。枯れ木も山の賑わい。つまらないものでも無いよりはましということわざです。ところが,改まった会合に参列した方へのお礼に使われる間違いに出会うことがあります。
 いずれのことわざも,自分に向けて謙遜する場合に引き出してくることわざなので,人様に向けて使ってしまうと意味は逆転して侮蔑に変わることになります。言葉の使い方を間違えることが起こってくるのは,謙遜するという自分に対する言葉遣いが廃れて,他者を持ち上げておけばよいという意識が強くなっているためなのかもしれません。
 情けは人のためならず。情けをかけておけば,巡り巡って自分によい報いがやってくるということわざです。ところが,困っている人がいても情けをかけて手助けをすることはその人のためにはならないという間違った使い方がされます。人のことには関わりたくないという身勝手の口実になっています。本来の意味も見返りがあるという点で身勝手ではあるのですが,先ずは自分から情けをかける関係に入ろうとすることが救いとなっています。損して得取れという直截な言い方もあります。
 人には得意不得意があり,未経験なことには手が出なくて,自分ではどうにもできない弱さを持っているものです。周りに寄り添っている者に手助けを求めることがあります。頼られたときに気軽に手助けすることができないと情けないことになります。情けをかけることができないことが、情けないことになります。他人の難儀を丸ごと助けることはできなくとも,弱い自分なりにできる範囲で手助けをすればいいのです。
 口から出る言葉だから,相手に向けて言うものとばかり思っていると,自分に関わる言葉もあります。言葉の操り方を弁えずに,単純に発言していればいいというコミュニケーションでは,情けを察するやりとりは覚束ないでしょう。伝わっていることわざの使い方を通して,心豊かな言葉遣いを受け継いでいけるといいと思います。

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(2021年04月11日:No.1098)