《有難い 窮屈でなく ゆったりし》

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 衣服の変遷を見ると,埴輪の服から,7世紀に中国風の唐衣に,さらに平安朝になると十二単になりました。中世になると,上に着ていた袿(うちぎ)を取って,肌着であった小袖が上着になります。埴輪の服に戻っていきました。肌着だったので無地でしたが,だんだん色や模様を付けるようになりました。宮崎友禅斎は,着物の絵が一つ一つ手書きであったものを,型紙を作って絵の具を刷り込み,同じ模様,同じ色のものをいくつも作れる印刷式を発明しました。これが友禅染の起こりです。
 着物の生地は,欧州の綾織りと違い,全部平織りでできているので,直線裁断しかできません。曲線裁断ができないので,身体のプロポーションに合わせたキチッとしたものを作ることができません。そのため,着付けるときに体型に合わせて着せなければならないので,なかなか自分で着ることができません。洋服は仕立てるときにデザインが完成しますが,和服は着付けるときに決まる未完成デザインの衣服です。ただ,ゆったりしているので,ほかの人にも合わせることが可能です。
 年齢を重ねて社会的に落ち着いてくると豊かになり,いつの間にか腹囲が増えてきます。パンツがきつくなってきて,ついにははけなくなります。着物なら身幅や帯の長さにはかなりの余裕があります。
 西洋料理は味が完成された状態であるのに対して,和風料理は調味料で食べる人が今の自分に合わせるというゆとりがあります。一人一人の個人に完全に合わせていく西欧の考え方に対して,物事をある程度整えるが詰めを不完全なままに留め置いて,臨機応変に個人に合わせていくのが,和の考え方のようです。洋風に慣らされた現在人には,面倒な余裕でしかないと敬遠されるだけでしょう。
 人間関係において,人はそれぞれ違うものという前提をするのが外国の考え方で,一方で人は皆同じであると考えていくのが日本風でしょう。物事は両面があるので,どちらを前提にしても,結局はバランスを取るように落ち着いていくのですが,そこに至るプロセスが違ってきます。そのことを了解しておかないと,現在の国際的情報社会では文化の違いが邪魔になってしまいます。

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(2021年07月25日:No.1113)