家庭の窓
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「恩送り」という言葉に新聞紙上で出会いました。人様から恩を受けた際に,「恩返し」をすることが人付き合いの習いですが,恩を返せない場合もあります。そのときは,受けた恩を,頂いた方ではない別の人に送ることが恩送りであり,江戸時代には使われていたようです。
恩送りは人と人をつないでいきます。その連鎖を世間の前提として,「情けは人のためならず」という言葉が生きてきます。情けから生まれる恩という行為が,恩送りでバトンのように渡り巡って,いずれは恩返しとして戻ってくるという信じ合いです。
劇作家の井上ひさしは不遇な幼児期を過ごしました。父親と死別し,貧しさのため母に手を引かれて児童養護施設に預けられ,不良少年と付き合い,中学生になると店で物を盗んだりもしました。
ある日,彼が岩手県一関市の本屋で国語辞典を盗み,本屋のおばあさんに捕まりました。おばあさんは「そういうことをすると,私たちは食べていけなくなるんですよ」と厳しくたしなめ,裏庭で薪割りを命じました。
そのおばあさんは薪をすべて切った井上の手に,国語辞典とともに,辞典代を差し引いた日当を握らせました。「こうして働けば本を買えるのよ」。
後に井上は文集で「そのおばあさんが私に誠実な人生を悟らせてくれた。いくら返しても返し切れない大きな恩」と回想しました。その本屋があった岩手県一関市で生涯,同僚と一緒に無料文章講習を開きました。これを井上は「恩送り」といっています。
2021年の東京オリンピックの開催に関わっている人たちが,若い頃の障がい者へのいじめであったり,不適切な笑いを誘う振る舞いが蒸し返されて,職を辞するということがありました。井上の万引きの償いは,若気の至りの反省として受け入れられましたが,2021年の雰囲気では糾弾されていたのかもしれません。きちんと償いをしているかどうか,それが大事な境目なのかもしれません。
誰でも叩けばほこりが出るとか,互いにすねに傷を持つとか,自嘲することがあります。それが悪さであるときは,必ずそのために痛みを受けていることで,何らかのけりがついているものです。はしかのようなものという経験による育ちに重ねられることもあります。かつては,許して諭してくれた人の恩が,次へ恩送りとなって実現していくつながりがありました。当事者による許し,その心に感じる痛みを免れたままでは,誰からも許されないのでしょう。
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