《有難い あれこれくどく 話されて》

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 自動車のトラブルで多いものの一つにガス欠があります。車には燃料計がついているので,ガソリンの残量が少なくなると警告灯が点灯して知らせてくれているはずです。折角警告灯がついても,「まだ大丈夫,走れる」と高をくくる人がいるようです。情報は読み取る側によって色づけされるのです。
 警告灯がついた時点でのガソリンの残量は,JAFのテストでは,車によって違いますが,おおむね8〜11リットルの間ということです。このガソリン量で車が走れる距離は,約50キロメートルです。もっと走れるという車もあるでしょうが,悪路や渋滞などを考慮すると,50キロメートルと思っていた方が無難と考えられています。高速道路のサービスエリアは,この距離を想定して,ほぼ50キロメートル間隔で設置されているのです。
 17世紀のフランスの貴族で,モラリスト文学者であるラ・ロシュフコーの箴言集から。
 「助言の求め方与え方ほど率直でないものはない。助言を求める側は,友の意見に神妙な敬意を抱いているように見えるが,実は相手に自分の意見を認めさせ,彼を自分の行動の保証人にすることしか考えていない。そして助言する側は,自分に示された信頼に熱のこもった無欲な真剣さで報いるが,実はほとんどの場合,与える助言の中に、自分自身の利益か名声しか求めていないのである」。
 相談の場合,相談者と回答者の深いところにある心情を語った箴言とみなせば,「相談者に寄り添う」という勧めに対して,安易に乗ることは躊躇されます。それぞれが語る言葉はそれぞれの心情を纏ってしまいます。一方で,聞き取った言葉は聴き手の心情を招き寄せていきます。そこでは心情の交流と同時に,心情のすれ違いも紛れ込ませてしまいます。そんなつもりで言ったのではない,そういうずれは想定しておかなければなりません。
 情報社会の中で,言葉をたくさん受け取りますが,果たして正確に聴き取っているのか,言葉をたくさん発していますが,果たして正確に受け止められているのか,そういう曖昧さがあることを十分に想定しておくことが大事です。自分は大丈夫、まだ大丈夫という自分の思惑に対する過信は禁物です。炎上という言葉のすれ違いが頻発するのは,言葉には個人的な心情がまとわりついていることを前提にしていないためです。
 例えば,「犬」。人によって具体的な犬は全く違っているのです。そこで,「大きな犬」と言えばいいのですが,子どもが言う大きな犬は大人にはそうではありません。耳が立っている,黒い毛の犬,たくさんの説明を付け加えていけば,話し手のイメージはより思い通りに聞き手に伝わることになります。だからこそ,誤解が生まれたときに,言葉が足りませんでしたという謝罪の言葉が出るのです。

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(2021年08月29日:No.1118)