家庭の窓
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日本語には,敬語があります。おかず,お茶,おかあさんなどは定着しています。「お」「ご」の接頭語は「お」は「おん」の,「ご」は「ぎょ」のなまりで,ともに「御」という字をあてます。御は「あやつる」という意味で,馬をあやつる人を御者といいます。そこで,「御」=あやつるとは,目上の人に対して「あやつっていらっしゃる人」という意味で使っています。また「お」「ご」の他に「み」というものもあります。「おみ足」「おみおつけ」などで,「美しい」からきたものです。
「お」「ご」は相手の所有物や行動につくことが多いのに対して,こちらの行動を卑しめて表現する卑語があります。「あなたたち」の「たち」は公達の「たち」で敬語。それに対して「わたしたち」とはいいません。わたしは「わたしども」といいます。「とも」というのは複数形で卑語です。「わたしども」といったとき,相手に対する敬語に転化します。一人であっても「わたしども」というのです。個人の存在を消して複数形にすると,相手に対する敬語になるのは日本語の大きな特徴です。
「さま」「さん」「くん」の敬称があります。「さま」とは間接表現であり,「すがた」ということです。江戸時代になって「きみ=君」が現れて,誰それくんと呼びます。自分のことは「ぼく=僕」になります。これは「しもべ」の意ですから卑語になります。「あなた」は「あるかた」という尊称がなまったものです。若い人が口にしてしまう「うちのおとうさん」という身内への敬語は間違いです。たとえ父を敬っているとしても,身内以外の人に向けて言う言葉ではありません。
つい最近の事件に,仲間内での年下の者が年上の人にタメ口をきいたということで,年上の人の恨みを招いてしまったというものがありました。年上であるというプライドを強く意識している人にとっては,タメ口は無礼な口撃と受け止められるのでしょう。先に生まれたという人を先生と書いて教えを受けているように,長幼の序という並びは人間関係を円滑にする暮らしの知恵でした。お互いを大切にしようとする思いを伝え合うことが,良い関係を生み出すことになるからです。
言葉が出会う場であるネット世界で起こる炎上は,私が正しいという上から目線を押しつけようとするからです。車が走る場である道路上で起こるあおり運転は,私が優先するという思い上がりを押しつけようとするからです。目の前にいる人より自分が上である,あるいは下であるはずがないと思わなければいられない,それは自尊感情の不在のせいです。人と比べて自分を見ることしかできないスマホ社会に住み慣れてしまうと掛かりやすい病が蔓延っているようです。
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