《有難い 間抜けにならず 間の良さで》

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 お話を2題。一羽のフクロウが東の方に向かって,ものすごいスピードで飛んでいました。それを一羽のハトが呼び止めました。「どうしたんだい? いつものきみに似ず,たいそう忙しそうにしてるじゃないか」。フクロウはしょげながら「もう,こちらにはいられなくなったのでね」。「それはまた,どうしてだい?」。「じつは,この里の人間たちが,ぼくの鳴き声をきらうのでね。だから・・・」。「ふ〜ん,そういうことなら,東に移ったところで,またそこの人たちにきらわれるだろうよ。どこへ行っても,そういうことになる。きらわれたくなかったら,自分の鳴き声を改めることだね。他に方法は一つもないと思うよ」。
 『落ち穂拾い』などの名画で有名な画家ミレーが不遇で,生活に窮していた頃。ある日,『民約論』などの名著により世に知られつつあった親友のルソーが,ミレーの家を訪ねてきました。「ミレー君,喜んでくれたまえ。君の画に買い手がついたよ」。「エッ,それはほんとうか?」。「ほんとうだとも。これをみてくれ」。ルソーは,手にしていた三百フランの紙幣を見せました。「買い手の人は、画の選択をぼくに任せてくれている。あの『接ぎ木をしている農夫』をくれないか?」。ミレー一家は久しぶりに息をつき,窮乏から脱することができました。数年後ルソーの家を訪ねたミレーは,『接ぎ木をしている農夫』が壁にかかっているのを見ました。
 ハトとフクロウの話は,子ども向けで動物の話なので,困っている友だちに気配り無しで真っ直ぐなアドバイスをしています。フクロウの困りごとは,里の人間に鳴き声が嫌われているということで,人間に嫌わないでと言っても無理だから,フクロウができることは鳴き声を変えることという助言です。相手を変えるのは難しく,できることは自分を変えることという真理です。
 ルソーとミレーの話は,大人の人間の話なので,困っているミレーに気配りをして,架空の買い手を登場させて,絵を買うという商取引を行って援助をしています。絵画と代金の交換という五分五分の関係で解決できるという話です。人間関係は親友であっても,それなりの配慮があるほうが温かいのです。もちろん後で嘘がばれていますが,取引に嘘はないので,思いを飲み込んでおけばいいのです。
 人間という言葉に「間」という文字が組み込まれているのは,丸裸の人ではなく,間という空間を身にまとっているということです。その「間」にお互いの思いやりがつまっている社会があるという,社会的人というイメージがあります。人間らしいし振る舞い,それはお互いの間を大事に思っているということです。

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(2021年09月12日:No.1120)