家庭の窓
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子どものなぞなぞではありませんが,暇の方が人に喜ばれるという不思議な仕事があります。警察や消防署,救急車や病院などです。原爆や地雷もない方がいいに決まっています。でも,現実には存在しています。不祥事という出来事は日常茶飯事ですし,過ちも起こり,被災や罹病も後を絶ちません。とかく浮き世はままならないという状況は不変です。
休みの日に働いている人もいます。いわゆるサービス業に携わっている人です。お店に出かけると応対してくれますが,何かしらわるいなという気がしてしまいます。代休を取っているはずだから気にする必要はないとは分かっているのですが,お世話をかけているという思いは抜け切れません。医者である父が休日も急患の診察をしていた姿を見て育ったせいか,サービスする側の苦労を直感する習い性になっているようです。
大学の教壇に立っていた頃に受けた質問で最も多かったのは,「2ヶ月の夏休みは何をしているんですか」というものでした。休んでいて給料がもらえるなんてという気持ちが伝わってきたものです。もちろん公務員ですから休んではいないし,ただ講義がないだけで,ゼミの大学院学生の指導や研究といった仕事があるといったことを,言い訳をしているような気分で説明したものです。
懇親会などの席で,お医者さんや弁護士さんと話す機会があると,たいていの方は「いい機会だから,ちょっと教えて貰おう」という気になるようです。「実は,・・・」と相談事を持ちかけます。弁護士さんへの相談料は30分5000円なのですが,事務所でなければタダでいいだろうと勝手に決めつけられてしまうようです。仕事の話は後程と辞退するとケチと思われて困ると,弁護士さんが語っていました。
診察に来た患者さんが,薬が出されずに診察代だけを請求されると納得しないという話を,父から聞かされていましたが,今も続いているようです。判断を仰いで,結論を教えて貰う,いわば相談料というものが認知されていません。知恵には値段がないという理解なのでしょう。
学生が真面目に授業を受けないとき,高い授業料を払っているのだから元を取らなければ損だろうという説得をする場合があります。その理屈が通用しません。授業による知識の伝授に価値を認めていないのです。いわゆる勉学をするという無形のものに値段を付けずに,証書というありがたい紙を買うといった感じです。どれほど周到に準備して役に立つはずの知恵を精選してやっても,無駄な努力といった虚しさを味あわされてしまいます。
暇を待機に費やす苦労,休みの日のサービス,休んでいるようでじつは仕事中,知恵の切り売り,いずれも確とした実体は見えませんが,これからサービス社会が進展していくとき,否応なしに価値の再考を迫られてくるはずです。タダほど高くつくものはないということです。
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