《見た目より 手触りしだいの 品定め》

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 手に職を付けるという言い方があります。職人の技と言いますが,技とは手が支えると書きます。何を支えるのでしょう? 周りにいる人を支えます。その類推はさらに進んで,働くという字は,人が動くと書き,端を楽(ハタラク)にすると読むということになります。人という字は支えられている様を表現しているとも言われます。
 誘導尋問か,こじつけか,巷間の説を拾い上げていくと,一つの方向性が浮き上がってきます。人は共同しながら生きていくものという認識が定着しているようです。仕事をきちんとする,責任を持って遂行する,いい仕事をする,いろんな言い方がありますが,いずれも自分の存在価値を他者を支える構図の中で意識しています。
 お年寄りが集団で生活している施設では,エリートであった男性は女性たちから敬遠され,職人さんがもてるそうです。エリートはうるさく言うばかりで自分では何もしないということのようです。周りの人を支えることをしない,動こうとしないと,浮き上がってしまいます。エリートとは,所詮組織の中でしか通用しない部品なのです。
 エリートとは組織の中での特別誂えの他動部品なので,よそでは使い回しが効きません。手に職を付けたというのは,自分で何かができる自動部品ですから,必ず誰かの支えになれます。何らかの目的を持った組織ではないような集まりでは,職人さんがもてるのは当たり前なのです。
 ちょっとばかり大きな話になりますが,日本人が豊かさを手に入れた基礎は,すべての個人が読み書きそろばんという技を身につけて,組織のよい部品になれたことだと言われています。その通りですが,もう一つの要因も見逃すわけにはいきません。それは,仕事が丁寧だったということです。
 丁寧さとは何でしょう? それは使う人の身になって物作りをするということです。丁寧とは相手を意識する場合に現れてくる特質だからです。それに対して,やっつけ仕事というやり方がありますが,それはすればいいんだろうと取り組み方です。相手のことは眼中にありません。雑な仕事になります。
 手作りという言葉が温かさを醸し出すことを考えると,人は手を使うときに相手への思いやりを発揮するようです。機械に任せることは手から離れます。数字や書類だけに関わっていると,頭と目と口だけしか働かなくなり,手の温もりが途切れてしまいます。エリートの冷ややかさとは,その辺に原因が潜んでいると思われます。かつてのエリートは手を働かす経験を持っていました。だから,仕事に丁寧さを込める心根を忘れることはありませんでした。
 最近は,手を働かした経験のないエリートが登場してきたために,組織活動自体がゆがんできているようです。皆がしているからとか,分からないだろうとか,他者の目をごまかそうという卑しさに染まっています。他者に向けていい仕事をしてやろうという気概を持っていません。仕事とはこうするものだ,そんな見本を見せつけておくことが,年輩者の務めです。

(2002年05月26日号:No.113)