家庭の窓
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人間いたるところに青山あり。披露宴などのおめでたい席で,人生いたるところに青々とした山が迎えてくれるという思いで語られます。正しい意味は,人間はどこにいっても,骨を埋めるくらいの場所はある。志のある者はいつ死んでもいいつもりで郷里を出て活躍すべきであるというものです。人間は「じんかん」と読み,世の中という意味,青山は「せいざん」と読み,墓地という意味です。
神様にも祝詞。何でもお見通しの神様ですが,それでも祈りの言葉を言わなければ,思いは伝わりません。人間に対してはなおさらです。相手がとっくに分かっているだろうと手間を省いたために,「知らなかった」「聞いてなかった」という失態が起こります。察してくれていると思える間柄でも,気分がすれ違っていると無言の会話は成立しません。
三人寄れば文殊の知恵。文殊は仏教で知恵を掌る菩薩です。平凡な人間でも,三人も集まって相談すればいい知恵が浮かぶものという意味です。悩み事を一人であれこれ考えてみても,決していい解決策が見つかりません。人に相談するのが何よりです。その際に一人だけの意見を聞いても客観性が不十分であるかもしれないので,二人に相談します。すると,お互いの意見を批判するプロセスが働くのでよりよい解決策が見つかります。
社会の中で生きていく知恵は,3人の了解によって効果を発揮することができます。無人島でひとり暮らしの時は,何をどうしようと思いのまま,誰に遠慮も要りません。二人暮らしの時は,お互いに気遣いをして了解すれば,少なくとも半分の思い通りが可能です。ただそこに隣り合う第三者がいれば,二人とは違った判断が働くので,結果として誰にでも受け入れることのできる形に整えられていきます。それが社会的なありようとなります。
似たもの同士であれば、話は早く了解されていきます。お互いの修正や我慢が少なくて済むからです。ところが,似てないものがつながることになると,まったく逆のことがぶつかることになります。どちらかを完全にあきらめるか,新しいことを生み出さなければなりません。それが社会の広さになります。狭い価値から広い価値へ止揚していきます。
ネット社会で気をつけておくべきは,話の合う人とのつながりに偏ってしまうと,社会的な関係が狭くなっていることに気がつかなくなることです。直ぐそばにいる話したことがない人とのつながりを避けていると,身体が存在している現実の社会の在り方から外れてしまうかもしれません。その結果は,幸せではないでしょう。勤め先,住んでいる地域,よく訪れるところ,たくさんの所で普通に触れあいを欠かさないようにすれば,関係の偏りは解消するはずです。そして,穏やかに暮らす知恵が手に入ります。
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