《有難い 言葉の意味の 変化見え》

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 飲食店で「おあいそ」と言ってお勘定をしてもらいます。昔は,常連になると飲み代は全額を払わず1割ほどをツケとして残しておくのが通とされました。ツケを無くすように払いきることはお店との縁を切ることを意味していたのです。おあいそには,愛想が尽きたので勘定を払い終えて,もう二度と来店しないという意味が含まれていました。いつからか,おあいその「勘定を払う」という意味だけの部分が残って使われるようになっています。
 中年の女性に向かって「うば桜」と口を滑らすと,恐ろしいことになるかもしれません。でも,うば桜は褒め言葉であって,中年になってもなお若々しく色気のある女性がうば桜なのです。年甲斐もない化粧の濃い女性という意味ではありません。中年の女性が怒るのは「うば」=「姥」という文字を思い浮かべ,姥捨て山の言葉の連想で,年老いたおばあさんというイメージが強くあるからです。本来の姥桜にはそのようなイメージは全くありません。姥桜は正式にはヒガンザクラという美しい桜の一種です。この桜は花が散るまで葉が出ないので,葉がない=歯がない=老女という言葉のあやがあったのです。あれ? 結局年老いたにつながりましたか?
 子どもが自分は「いじめ」られているのかなと感じたとき,友人はただの「いじり」だといいます。いじめかいじりか,それは受け手が決めることであるという判断が今の時代のスタンスです。ということは,姥桜を本来の褒め言葉として使ったとしても,受け手が侮辱と聞き取れば,それが認められるべきであるとなるのでしょうか? そんなつもりで言ったのではないという言い訳をするのではなく,言葉本来の意味をちゃんと説明できる素養が求められます。
 このごろ,若者の話の中では,なんでも「やばい」の一言で感情や状態を表現してしまっています。もともとの「やばい」という言葉は,「あぶない」,「不都合だ」,「具合が悪いようす」をあらわす言葉でした。牢屋や牢番のことを言った「厄場(やくば)」から変化した言葉とも,あるいは,泥棒が人に気づかれないように地面をはうように行くことを「よはい」と言い,それが変化した言葉だとも言われていて,そんな悪人のことが由来している「やばい」が,いまや,なんでもありの言葉になってしまいました。
 それが,1990年代に入って,いっきに意味がふくれあがり,ファジーな意味を持つ言葉になってしまいました。おいしくてもまずくても,かっこよくてもかっこ悪くても,かわいくてもかわいくなくても,もうなんでも「やばい」の一言で終わりです。感情系,状態系の言葉がみんな「やばい」の一言ですみますから,聞き手はその前後のことがわからないと,どんな意味で「やばい」を使っているのかさっぱりわかりません。言葉は時と共に変化するものと思っていますが,逆転すると,長く生きていると戸惑います。

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(2021年12月26日:No.1135)