家庭の窓
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ニュートンは生まれつき器用だったので,少年時代は細工物に熱中し,学校の勉強は怠けていました。そのために成績が悪く,クラスでは劣等生としてバカにされていました。ある日,ニュートンは本物とそっくりの水車を作り上げました。それは非常によく動き,近所の大人たちが感心するので,学校へ持っていったところ,級友たちは大いに感心し,ニュートンの器用さを口々にほめたたえました。
ところが,クラスの首席の少年だけは,こういったのです。「ふん,確かによくできているね。本物そっくりだ。ところでね,この水車が動くのは,どういう理論によるのか説明してくれないかね」
日頃の不勉強がたたって,ニュートンはどうしても説明することができません。立往生した彼を見て,秀才少年は「おい,理論的に説明できなきゃ,学校で勉強している意味がないじゃないか。器用なだけなら,町の大工のほうがきみより上だよ」と鼻でせせら笑ったのです。
すると,いままで感心していた他の級友たちも,ニュートンをバカだとののしり始めたのです。この侮蔑に,ニュートンは思わずくやし泣きに泣き,机の上にうつぶしてしまいました。しかし,その翌日からニュートンは,生まれ変わったように勉強家になったのです。そして,まもなく自分をバカにした秀才少年を追い越して,クラスの首席を占めるようになりました。
「あのときバカにされなかったら,私は学問の道を歩むことはなかっただろう」。後年,ニュートンはよくこう述懐したということです。
自分ができることは自覚できますが,できないことは無自覚です。自分が何を知っているかは分かりますが,何を知らないかは分かりません。人の振り見て我が振り直せと言われます。それはしてはいけないことに気付くための知恵ですが,逆にも使えます。した方がよいことに気づくためにも使えます。誰かにできていることは,今はできない自分でも,できるようになれるという導きになります。
先生という言葉も,先に生まれた人がして見せてくれることによって,後から生まれてくる人が見よう見まねで同じようにできるために導いてくれていることから生まれたのでしょう。学びという言葉は,まねる,まねぶ,まなぶ,と変化して生まれました。何を学べばいいのか,それは先にできている人の真似をすることなのです。もちろん,もっとよりよくできるようになりたいという意欲で努力することが,向上になっていきます。
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