《有難い 与えて戻る 安心が》

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 梨園の名優5世尾上菊五郎は,明治期の歌舞伎界の大スターで,世話物で観客を泣かせる名手だったそうです。ある政治家が泣かせる秘訣を尋ねました。菊五郎は笑いながら,「別に秘訣はございません。ただ,一通り観客を見渡し,これはと思う人に一人だけ目を付けて,その人だけに向かって一生懸命に芝居をするように心がけているのでございます。その人が瞳を濡らすと,満場のお客様が泣いて下さるのでございます」。その通りに演説を行った政治家は,万雷の拍手を受けることになりました。
 幸せは寂しがり屋ですから,人と人のつながりがなければ,立ち寄ってくれません。演劇は演者と観客がぴったりと結びついてこそ,幸せな一時を共有することができます。何となくその場にいるだけではなく,あなたとしっかりつながっていると共感できることが必要です。幸せに限らずに普段の暮らしにおいても,人とつながっているという安心感が生きていく必須の条件です。
 独りぼっちである,孤独であると,生きることが辛くなります。さらに,誰からも必要とされていない,邪魔にされていると思ってしまうと絶望するはずです。人とのつながりは,自分の存在確認になります。人間は人の間と書きますが,文字通り人と人の間が安心して生きていく居場所であることが求められ,安心する権利が生まれます。
 さまざまな形の人とのつながりを破壊する理不尽な強制などは安心する権利の侵害と見做されることになります。シカトという関係を遮断する振る舞いは,安心を奪うという意味のいじめになります。ネットの世界における炎上をもたらす振る舞いは,自らを関係の外に置いてしまう安心の放棄になります。匿名という身での関係は結べるはずもないからです。共に安心できる結びつきこそが,人間としての関係です。ネット技術はそのために展開されているのです。

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(2022年03月06日:No.1145)