《有難い 言葉交わせば 笑顔あり》

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 アダムとイブにへそがありやなしや。これが大問題として五百年前頃から十九世紀にかけて真面目に論争されて,そのために当時の画家たちは大変困りました。イブは長い髪で腹部を隠してごまかせますが,アダムに対してはそうはいきません。画家たちはへそをつけたり,つけなかったりしていました。システィナ礼拝堂の天井画を描いたミケランジェロは,断固としてへそをつけています。
 これについて十七世紀の学者トマス・ブラウンは,へそと呼ばれる曲がりくねったこぶ状のものをつけるのはおそるべき誤り,なぜなら「創造主が余計なものを好み,なんら用途,効用のない部分を与えた」ことになるから,とミケランジェロを批判しています。創造主の意図を分かると思い込み,人智の及ばない深謀があるかもしれないという謙虚さがないのも,気になります。
 人は自分の思想や考察,気持ちや信念を表現しようとします。芸術家の表現の手段は絵画や音楽,舞踊などですが,普通の人では言語であり,人は人に対して話しかけ聴き取ろうとしています。コミュニケーションによって人のつながりが生まれ,社会生活が可能になります。先人が自分の特別な経験を後世に話したくなり,その知恵が言葉に託して伝授され蓄積され,やがて母国語として体系化されていくと文化を創り出します。風土に適った人としての生き方は,私たち一人一人に与えられている表現する権利によって育まれ洗練されてきました。
 時折の不幸として起こってしまう,話せば分かる表現世界が閉ざされるときに,諍い,戦争という悲劇に至ります。表現と実体の一致が意図的に歪められることがあります。物事を曲解する表現がされると話は通じなくなり,相手の無理解を責めることになります。そこで止まればいいのですが,問答無用と武力に頼る愚かさが現れる不幸があります。表現する権利のお互いの努力による尊重が,平和の実現を可能にします。表現の自由とは,お互いの表現の権利を尊重し理解し合うということです。

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(2022年03月13日:No.1146)