家庭の窓
|
大晦日の宵に,安藤広重はとある茶屋に初めて入りました。主と話すうちに広重の風景画に及びました。「近頃,広重とかいう絵描きの風景画がもてはやされているようだが,どうも私は感心しませんな」。内心穏やかではない広重が,素知らぬふりで聞き返すと,「どうひいき目に見てもあの絵は作り物でございますよ。今時あんな格好をした旅人が街道を通るわけはござんせん。道中の林にしても,風物にしても,あれは実際に見て描いたものではありませんな。頭の中で勝手にこさえたものに決まっておりますよ」。
自分の絵にどこか満ち足りぬものを感じていながらそれが何かを分からずに迷っていた広重は,茶屋の主の言葉に目を開かれ,早速旅に出て,道中の中で写生を志し,やがて数々の名作を残すことになりました。門外漢の素人評が広重の才能につながっていきました。
人は社会に生きています。人が社会につながる具体的なパターンは,社会活動に参画することです。茶屋の主は風景画に対する意見を表明することで,偶然であっても広重の制作活動に参画してしまいました。双方共にそのつもりはなかったのに,一方にとっては運命の出会いをもたらしています。あの時のあの出会いがなかったら、あの出会いがあったから,振り返ってはじめて気がつくことになります。
人が多様な出会いによって向上のチャンスを得られるように,具体的に社会に参画できるために,政治面では参政権,経済面では労働権などの権利が想定され,また,性差による参画の違いを解消しようとする活動も進められています。ただその実現は十分な段階には至っていません。人の人生が豊かになる社会参画ですが,その意義を認識できるのは常に事後です。後知恵とは何か事が起こった後でその原因に言及することで,事前には予想できなかったことが事後には必然的であったかのように判断する心理的バイアスの一つです。
社会活動は多様な参画によって質が高まり,人の暮らしが豊かになってきました。その歴史的な歩みをさらに進め,全ての人が社会のありように参画することで,全ての人の幸せに一歩ずつ到達することができます。
|
|
|