《有難い 今日の一歩を 積み重ね》

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 小学校5年の男の子が,父親に通信簿を恐る恐る差し出しました。中学校の国語の教師である父親は嫌な予感がしました。案の定,国語の成績が5段階評価の2になっています。「お父さんの顔に泥をぬる気か!」の言葉を,グッと抑えて言いました。「おい,だいぶ低空飛行だな」「?」「しかし,望みはある,大いにある」「?・・・」「後は上がるばっかりじゃないか」。
 子どもはみるみる明るい顔になって,「お父さん,ごめんね。2学期はボク頑張るよ」。2学期,子どもは成績を4に上げました。このときも父親の一言がありました。「よくやった。しかし,あわてて5までにいくな」「え?」「後は下がるばっかりだからな」。
 生きていると,思い通りにことが運ばないことばかりです。神や仏が試練を与えていると考えて,辛抱し耐えています。そこには,苦労の後には楽があるはずという思い込みがあります。幼い頃に聴いた昔話は,最後の言葉が「めでたしめでたし」です。いろんな紆余曲折の後はハッピーエンドです。好事魔多しの一方で,塞翁が馬という故事を思い出して,頑張ることができます。
 行き詰まって先行きを絶望し生きることを辞めたくなるとき,一縷の望みがあれば,生き続けることができます。ままにならない憂き世の中で,か弱い人間が生きていける理由は,希望があるからです。日々の暮らしの中でささやかな希望が見えてこないときは,「なんとかなる」というまじないをつぶやくことです。かすかな希望の光を捕らえられるはずです。
 望みを持つということに対して,ちょっとした危惧があります。物事の進捗に対する時間感覚が短縮され,今すぐに出来ることが当たり前になっていることです。例えば,物事を知るという行動について考えると,図書館に出かけ,本を探して,何冊か読み比べて,といった手間暇が必要でしたが,今ではネット検索で手軽に分かるようになっています。実は手間暇の部分の自分で考え処理するというプロセスこそが知的な活動なのです。お手軽な状況には希望は入り込めないのです。

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(2022年03月27日:No.1148)