《有難い 法の手前に ある暮らし》

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 徳川光圀が,8人の僧を食事に招いた折り「御僧たちに面白いものをお見せしよう」と言うと障子を開け放ちました。大松の根に男がくくりつけられており「あの男は殺生禁止の場所で鶴を撃った者で,これから,私が成敗する」と庭へ降りていきました。
 「あれなる名高き名僧知識が引導を渡してくれるそうだ。観念せい」と刀を振りかぶり「成仏せよ」と重ねて言いました。しかし,ふと思いとどまり,また振りかぶる。しばらくして「罪人の縄を解いてやれ」と言いました。
 一方で,8人の僧をにらみつけ「僧籍にある者に大切なのは殺生戒ではないか。ものの命を絶つことを禁じ,我が一命に替えても他の命を救うてこそ名僧。ところが誰も男の命乞いする者はない。破戒僧であり追放だ」。
 ところで,「法律がなければ犯罪はない」という言葉があります。この命題は,「あらかじめ成文法規によって犯罪が規定されていない限りは,どのような行為であっても犯罪とされて刑事的な追求をうけることはない」ことを意味しています。意地悪な解釈をすると,どれほど不都合・不道徳なことをやらかしても,それが刑罰法規に明記されていない行為に属する限りは,何ら咎められることはないということになります。もっとも,民事事件としてそれなりのお仕置きがなされることもあるようです。
 社会生活の中では,理不尽な振る舞いがいろいろと起こってしまいます。理不尽,理を尽くしていない事とは,法規のような形に整えられていないことであり,善悪や正邪の判断ができないので,困ります。そこで,セクシャルハラスメント,パワーハラスメント,マタニティハラスメント,カスタマーハラスメントなど,ハラスメントという言葉に使うことによって,ブレーキを掛けようとしています。
 人としての在り方を,宗教や道徳,人生訓や正義感など,いろんな形で意識化し,迷惑を掛けないようにという歯止めを使って,法による判断の出番前にいることで,心穏やかに暮らしていきたいものです。

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(2022年05月08日:No.1154)