《能力を 生かす殺すは 場所次第》

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 人が何かをしたいと思うとき,必要なものがあります。それは「場」です。普段,いる場所に相応しい行動を取りますが,環境に適合するように暮らしています。どういう場にいるかによって,人は変幻します。
 種は土という場にあるときに,芽吹きます。適材適所と言われるように,人材は相応しい所を与えられれば,能力を発揮できます。ここで,場が人と適合すれば,という但し書きが付いていますが,もう一押しできるようです。場には既にある能力を開かせるだけではなくて,能力を産み出すこともできるのではないかということです。
 ある苦しい状況に置かれたら,人はなんとかしようとします。それまでには無かった能力を発揮します。火中の栗を拾うという,追い詰められた境遇に自ら飛び込むことで,人は成長してきました。
 古来,有能の士は働き場所を求めて彷徨い,多くは場を得られず,糊口をしのぐためだけの場に不遇を囲っていました。それが世の常ということでしょう。それほど深刻な場もあれば,何となく入り込んだ場が意外と合っていたりすることもあります。有能と自認していない方が場を選ばないというメリットを掴めるようです。そこで適合する能力を開発し発揮すればいいのです。
 有能であるか否かは,能力が場と適合しているかどうかに拠ります。つまり有用能か無用能かということであり,必ずしも能力の有無ではありません。もしも場が求めている能力が自分には備わっていないのであれば,備えられるように学べばいいでしょう。それが生涯学習の意味です。つまり,場が変化する時代になったことで,求められる能力も変化を余儀なくされてきたわけです。学びの能力は誰にもあるので,生かせば有能になれます。
 この「場」のイメージを意識的に取り上げることで,いろんな局面を考える際に解決すべき課題の整理ができるようになります。大きな課題としては,理想と現実という相克があります。理想とは一切の場を考慮しないものであり,現実は場を最大限に考慮するものです。計画と実践の間にも場への思い入れに軽重がみられます。計画は場に優先しがちであり,実践は場を優先せざるを得ないという制限を受けます。通常は,場が頑固さを発揮します。
 構造改革という言葉が聞かれますが,それは場の構造を変えようということです。時代の流れの中で変化が早いとはいえ連続的に変わっている場を,意図的に不連続に変えていこうという立場ですから,計画のごり押しという性格が漂うようになります。同時に人に対して求められる能力も様変わりをするために,痛みが伴うことになります。改革を進める準備として,何が求められる能力かという情報を充実させるべきです。大事なことは,構造ではなく,そこで能力を発揮する人間だからです。

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(2002年06月16日号:No.116)