家庭の窓
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夏目漱石夫人の鏡子さんは低血圧だったらしく,朝早く起きると頭が痛くて一日中ぼーっとしてしまうたちで,そのため朝寝坊の癖がついてしまいました。漱石はその癖を直してやろうとたびたび小言を言いましたが,その小言というのが漱石らしいものでした。
「お前の朝寝坊で,おれはどれだけ時間の不経済をしているか分からない」と,漱石は言います。なぜかといえば,「おれは一時間も前から目を覚ましているんだが,細君よりも先に床を離れるのは不見識だから,お前が起きるまで床を離れない。これを長い間に見積もると大変な損害だ」というわけです。
細君より先に起きたって構わないわけですが,江戸っ子気質の漱石にとって,細君より先に起きるなんて亭主の沽券にかかわるのでしょう。沽券という言葉は,元は土地などの売買証券の意でしたが,人前で保ちたい品位や体面を表すようになりました。今どき沽券を持ち出しても通じないでしょうが,旧い男衆にはその気分が染みついていて,不意に表立って顰蹙を買う事態に追い込まれていくことがあります。
人としての関係にひびをいれてしまいがちな方の背景には,亭主の沽券にかかわる,男の沽券にかかわる,偉い立場の沽券にかかわる,先輩の沽券にかかわるなどが絡んでいることがあります。独善的な沽券という裃を脱げそうもないならば,人の沽券と言い換えて気持ちを替えるように仕向ければ,こじれた関係性は案外に解きほぐされるかもしれません。沽券が拙いのではなく,その中身が替わればいいのです。
人前で体面を保ちたい欲というものがあるようです。見た目であれば,着ている衣服や化粧で体面が整えられます。その際に,自分が好きな色合いにするか,見られたい色合いにするか,どちらを優先するのでしょう。
不自然でなければ,失礼ではないなら,その程度のいい加減な選択しかしていないので,己の体面に対する意識は低く,ましてや沽券といった強い思い込みとはまったく無縁です。漱石の「細君が先に床を離れるのが見識」という亭主の沽券は,そんなものがあったようだという印象でしかありません。それほど頑張らなければならなかったのは,よほど虐げられていたせいではと思ったりします。住む世界の違いを感じます。
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