《有難い 言葉の目利き 自らに》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓


 孔子が言っています。「直きを友とし,諒を友とし,多聞を友とするは、益なり」(益者三友)。直とは曲がったことの嫌いな人。諒とは誠実である人。多聞とは見識の広い人。「便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは,損なり」(損者三友)。便辟は相手が喜ぶことを言い,相手が嫌がることを言わないで,相手にこびへつらう人。善柔は人当たりが柔らかで誠実さのない人。便佞は口先だけがうまい人。
 兼好が言うよき友三つ。「一つには物くるる友。二つには医師。三つには智恵ある友」。友とするにわろき者,七つ。「高くやんごとなき人。若き人。病なく身強き人。酒を好む人。たけく勇める兵(つわもの)。虚言する人。欲深き人」。
 原始仏教経典シンガーラヘの教えにある4種類のよき友は,「助けてくれる友。苦しいときも楽しいときも一様に友人である人。ためを思って話してくれる友。同情してくれる人」。一方でわるい友は,「何ものでも取って行く人。言葉だけの人。甘言を語る人。遊蕩の仲間」。
 このように,古来,よき友,わるい友が区別されていました。わるい友とは友達でないとして付き合わなければいいのですが,時折,無理矢理押しかけてこられることがあります。迷惑であるだけではなく,被害を被ることがあれば,犯罪となることもあるでしょう。ところで,わるい友を排除することだけで落着としていると,わるい友のままに放り出して何も変わりませんが,それは社会のあり方としてはいかがなものでしょう。
 3つの言をさっと眺めると,悪い友については,言葉の使い方が悪いことが共通しています。人が物事を理解し,知恵を覚えて,振る舞いを正しく律することができるのは,言葉をきちんと習得できるからです。もし,言葉がなければ,人は動物的な行いしかできないでしょう。人であるということ,それは言葉を持つことであり,人としての有り様は言葉の使い方に依ります。名は体を表すといわれますが,その字のままに受け止めると,名を表す言葉をどのように選んだかということが,人の体(てい)を表すとなります。
 人の向けて発する言葉の品格もさることながら,気をつけておくことは,表に出ない自問自答する言葉の品格を保つことです。乱暴な言葉,えげつない言葉,嫌らしい言葉は,耳で聞いて分かることは必要ですが,決して口で話すことはしないことです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2022年09月04日:No.1171)