家庭の窓
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仙台62万石の大名伊達政宗は独眼竜の猛将として名をとどろかせていましたが,茶道にも通じていました。政宗が茶室の縁先で茶道具を手に持ち,もてあそんでいたときです。特に貴重な愛蔵の茶碗を危うく落としそうになりはっとしましたが,かろうじて膝で支えたので無事でした。ほっと息をついた政宗は,顔をしかめました。
「これまで戦でも動じたことはなかった。ところがこの茶碗だ。いくら得がたい高価な品とはいえ,たかが茶碗ではないか。取り落としそうになって自分を見失ったのは無念だ」。政宗は立ち上がると,手にした茶碗を庭石にめがけて力任せに投げつけ,名器は砕け散りました。「これで動ずるものはもう何もないわ」といって,豪快な笑い声を響かせました。
人は有形無形のものを取り込んで生きていきます。やがて,豊かさが幸せという信仰に染まっていき,必要なもの以上に取り込んでいこうとします。そこで感染する気の病が喪失病です。高じると手に入れたものは何であっても処分できないということにもなります。断捨離ができないと,その先では身動きできなくなります。
心穏やかに暮らすことが幸せであるとするなら,失うことを怖れるような執着物は寄せ付けないことです。もし既に取り込んでいたら,壊れても構わないと思えたらいいし,未練が残るようなら政宗のように破壊してしまわなくても,他人に譲ってしまえばいいでしょう。
所有する権利には対極に所有しない権利もあり,どちらを選んだら幸せか,それを決める権利が人それぞれにあります。「足るを知る者は富む」という言葉があります。満足するということを知っている人は,たとえ貧しい状況にあっても精神的には豊かであるということを意味することわざです。ただし,「足るを知る者は富む」は,「現状に満足すればよく,それ以上は何も行動しなくてよい」という意味ではありません。在るものが自分にないという状況を常に悲観的に捉えるのではなく,自分にとって必要なものや,自分の本来のあり方を理解すべきであるということです。
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