家庭の窓
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東海道中膝栗毛の戯作者十返舎一九は,その滑稽な著作からは面白い人と思われがちです。しかしながら,実は普段は無駄口を叩かずに,人に会っても時候の挨拶をする程度でした。ある人が,一九に「あなたは諸国を旅していらっしゃるから,珍しいお話がいろいろありましょう。それなのに,いっこうに話してくださらない。少しお聞かせくださいませんか」と責めると,一九は「珍しい話は,私の家の米びつですよ。うっかり話せません」といいました。
確かに珍しい話は戯作者にとっては飯の種です。そうそううかつには話せないに違いありません。一九の戯作者としての成功の秘密は,自分の足で収集したナマ情報を大切にして,不特定多数の読者にだけ公開したところにあるといえます。
情報社会の今,見聞したことをごく身近な者に無駄口として語る場がネット上であることから,不特定多数の者にも直結し拡散してしまいます。状況は一九の時代の情報管理とは全く違っています。想定の及ばない拡散を怖れて個人的な情報が厳しく管理されています。一方で,情報が閉ざされると,知りたい欲望により情報の価値が高くなる副作用が起こり,闇ルートの糧になっています。情報は安心して使える形にしておくべきなのです。
知り得た情報を守秘することが必要である一方で,危険で不都合な出来事に関する情報を予め多数の人に提供して用心するように広報することも大事です。情報は守るだけではなく,誰にとっても活用できる形で共有するものでもあるのです。
人は社会という共同生活の場で生きていきます。それを可能にしているのが言語という情報ツールです。事故で外傷を負っている状況は見て分かりますが,そうでない場合には,言葉による問答でなければ,判断材料としての情報は得られません。福祉の分野における互助や共助といった助ける行為が機能するためには,助けてという発信が必須です。助けを求める情報がなければ,助けられないのです。情報は伝わってこそ,価値が生じるものです。
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