《有難い 小さな競い 学び時》

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 ケンブリッジ大学にただ一人の東洋人として留学した数学者の菊池大麓は,常に首席を通していました。首席を争っていたブラウンは,外国の学生に首席の座を明け渡すのは大英帝国の恥と,必死の努力をしていました。
 あるとき,菊池は病気で入院をしました。イギリスの学生たちがブラウンに「菊池が病気で授業に出られないから,今度こそ君が首席を取れるぞ。やつにノートを貸さないよう申し合わせたから,頑張ってくれ」と言うと,ブラウンは顔色を変えて怒りました。「何を言うんだ。ぼくはイギリスの誇りを傷つけてまで首席を占めようとは思わないよ」。
 ブラウンは,菊池の入院を心配し,欠席した日から毎日ノートを別紙に書き写し,菊池のもとに送り届けていました。退院した菊池は学期試験は相変わらず,首席でした。ブラウンは追い抜けなかったのは残念だが,イギリス人の誇りを傷つけずに済んだと一人笑みを浮かべていました。
 オリンピックやワールドカップでは国を背負っての競い合いになります。正々堂々としたスポーツマンシップが期待されますが,その精神は日常の暮らしでも生かされているはずです。相手の不遇な状況につけ込む振る舞いは卑怯であると踏みとどまることは,人の道を踏み外さないことに通じることでしょう。そこからさらに相手に寄り添って,相手の失われている状況を補うための援助をすることは人の尊厳を保持していると考えることができます。
 人が競うことで得ようとしているものは,勝負というゴールではなくて,人として品格のある経験をすることです。勝者になった経験,敗者になった経験を真摯に受け止めることで,人の在りようが磨かれていきます。勝敗は時の運であり,人に備わるものではありません。

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(2022年12月25日:No.1187)