《有難い 賢い知恵に 出会うとき》

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 江戸の町に木枯らしが吹く中に,貧しい身なりの人たちが一軒の炭屋を訪れます。「炭を八十文売ってください」「わしは五十文でいい」と,少量の炭を買い求めます。当時炭は一俵単位で売るのが習慣でした。この店の店主はばら売りを始めたのです。一俵を買うだけの余裕のない人が,遠くからもやってくるようになりました。「これで今夜は暖かく過ごせます」と,さしあたって必要な炭を手にした貧しい人々は,礼を言って帰って行きました。
 ばら売りの思いつきは,店主が貧しい農家に育ったため,貧しい人々の気持ちになれたことによるものだったのでしょう。ばら売りは手間暇が掛かりましたが,お客が入れ替わり立ち替わり来るので,商品の回転が早く,結果的には一俵単位で売るより儲かりました。やがて,「本所に過ぎたるものが二つあり,津軽大名に炭屋塩原」と言いはやされました。
 店主の塩原太助は十九歳で江戸に出てくると,芝汐留の薪炭商で働き,努力して自分で炭屋を開いたのです。ばら売りにしても,割高な値をつけるようなことはありませんでした。そうした正直さと温かい思いやりが,太助を富商にしたのです。
 この太助の話を聞いて,儲けるから小売りにしただけという人もいるでしょう。ただそれは,後付けに過ぎず,儲けるからと真似をすることはできます。小売りにすると手間が掛かります。その手間を掛けるという壁を最初に越える思いが必要です。儲けのことは後回しにすることが,最初の挑戦者の要件です。
 ところで,さまざまな啓発活動においては,ある程度の時間を要する教室形式と,何かのイベントに付随できる小話形式とがあります。理路整然とまとまった内容を提供できる教室が,しっかりと理解してもらうには適切であるのは明らかです。ただ教室は普通の人が参加する機会は少ないでしょう。そこで,ちょっとした機会に啓発できる小話形式を充実しておくことが大事になります。
 生きていく上で取り入れるものは、生活用品に限られません。生活の知恵といった無形のものもあります。こう考えたら、こうしたら,といった知恵を共有すると、生きやすくなることがあります。そういう生活の知恵を広めることが,優しい社会作りになります。ネット情報の中に,そういう小さな知恵がたくさんの人から提供されています。講座という形ではなく,偶然に出くわす形で,届きます。それを拾うのも、楽しく有難いことです。

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(2023年01月08日:No.1189)