《住みやすさ 求めていのち 住みづらく》

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 夜中の町内を数人で歩いているとき,たまたま暗い場所にさしかかり,防犯のために街灯が必要だという話になりました。そうだなという雰囲気の中で,街灯が一晩中点灯すると,傍にある畑で作物の生長に影響があるという声が出てきました。自然のリズムでは,夜は暗いものなのです。作物だけではなく,庭の植木も生態のリズムを壊されるようです。
 人は明るい環境の方を望みます。範囲を広げると,便利な環境で営まれる文明生活をせっせと作り上げてきました。そこに共通する特質は無機質ということです。機械化,電子化に支えられる環境はそれ自体は生きてはいません。リズムを刻むという生き物としての特質が備わっていないからです。
 コンクリートの建物は丈夫であるということと引き替えに,生きているという面を剥奪しています。一方で,木の家は呼吸していると言われます。素材である木が有機物だからです。生きているものは丈夫で長持ちしないという面があり,素材としては欠点と見なされています。しかし,人は木の方に温もりを感じます。生きるもの同士に通じ合える共感があるからです。
 都会の佇まいが冷たいイメージを持たれるのは,素材が無機物だからです。それを解消するために緑が加えられるのは,樹木が有機物だからです。灯の消えた都会の不気味さ,はげ山の異様な印象,そのように感じてしまうわけは,復活という命が見えないせいです。死の世界とダブルからです。
 一晩中街灯を点けっぱなしにすることは,人工的な環境のリズムが自然の生態リズムと乖離していることを見せつけます。夜は寝るもの,それが人の生きるリズムです。環境問題に関心を持つなら,人はまず自然のリズムを取り戻す必要があります。明かりの点けっぱなしは,立派な環境破壊です。
 大義名分を持ち出せば確かに正論かもしれませんが,暗闇には悪が跋扈するという恐れもあるから防犯上仕方がないとするのが現実論です。ひとえに人間社会の内部事情に過ぎませんが,悲しいことにどうにも闇夜の悪の解消は不可能です。自然界の鬼っ子になろうとしている人間環境の蔓延りようは,自然からの手痛い反抗を受けるまでは続くでしょう。
 人は人の都合で物事を決めることしかできません。環境が変われば,それぞれの生き物が独自に適応の仕方を探さなければなりません。それができるからこそ,生き物であり得るのです。知恵ある生き物として野放図なわがままは許されないとしても,他者を考えて自らを抑制するには限度があります。それぞれの生命力に期待するしかありません。人以外の生命力が,人に対する反撃を選ばないように祈るしかないようです。

(2002年07月14日号:No.120)