《情報を タダで立ち読み あだにする》

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 「親切があだになる」と言います。あだを「仇」と書けば悪く跳ね返ってくること,「徒」と書けば無駄になることです。普通は後者ですが,前者も実際には起こりえます。恩を仇で返すということです。
 「小さな親切大きなお世話」と拒否されるならまだしも,親切が「飛んで火に入る夏の虫」と思わぬ方向に利用されることがあります。当事者間を外れて第三者を巻き込んでしまうのです。お中元に頂いた品物を別の方にたらい回しする程度なら可愛いものですが,あからさまに私欲に絡むような目的外使用が行われます。
 大きく言えば,職務上知り得る限定されるはずの情報を,私欲のために利用するという政界のスキャンダルが後を絶ちません。組織活動に関わる者には守秘義務が課せられます。たとえ法的な規制を受けていない組織においても,組織人としての常識です。さらには,日常のつきあいにおいても,知り得た情報の開示は無防備にならないように気をつけておくべきです。
 ある目的のために収集された情報を別の目的で使用することは本筋から逸脱することです。それが普通の良識でしょう。ところが,「知る権利」という魔物が絡んでくると,歯止めを難なくかいくぐります。「ねえねえ,聞いた? 知ってる?」という噂話が,仇に加担することもあります。
 見ず知らずの会社から勧誘の電話が飛び込んできます。「どうして私のことを知っているのか?」と逆質問すると,「手元にこれこれの名簿がある」と答えます。そんなことは百も承知であり,暗にこちらの意思には関係なくそちらの勝手でコンタクトしているという立場に気付かせようという腹づもりなのです。
 組織の当事者に有用な形として整理された情報は,他方面にも有効利用が可能です。そのことは情報社会のメリットであるのですが,デメリットにもなります。肝心なのは情報に接する人がどのように利用するかというモラルの問題です。
 人と話しているとき,「そんなつもりで言ったのではないのに」と思わされることがあります。いったん口から出た言葉は話し手の意図とは無関係に伝達し流布してしまいます。情報も同じで,発信者の目的は置き去りにされて,勝手に解釈され利用されていきます。その流れは,著作権を無視してしまうことにもつながっていきます。コピー商品の横行もブランドという著作権情報の無断利用なのです。
 多様な情報に接する時代になりましたが,情報それ自体には発信者の意図が欠落しています。いわゆる身元不明の情報になっていることに対して,メディアリテラシーという受信側のフィルター構築が急がれるのも必然です。

(2002年07月21日号:No.121)