《有難い 情報の波 まだ泳げ》

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 ドイツの哲学者カントは毎朝欠かさずケーニヒスベルグの町を散歩する習慣があり,その時間が厳格であったため,市民は彼の姿を見て時計の針を合わせたといわれています。その朝の儀式を打ち破ったのが,ルソーの「エミール」という本でした。読んだときには,感動のあまり散歩の時間を狂わせたのです。
 「エミール」は教育についてという副題が示すように,エミールという子どもの成長を追う形で繰り広げられる教育論です。ただし,単なる教育論ではなく,「自然に帰れ」という人間味のある思想・哲学書です。この本の中でルソーは母親に向かって,「女性は自然によって乳房を与えられている。だから,自分の子は自分で養い,育てなければならない」と語っています。
 カントはこのような自然人の言葉に胸を突き動かされ,「ルソーによって,私は人間を尊敬することを学んだ」と述懐しています。従来の知識に彩られただけの理論哲学から,人間を中心に据えた実践哲学に進んでいきました。
 当時の人間観は現在とは違ってはいますが,それでもカントはルソーの考えに触れることで,自分の理論が人間性に立脚していなかったことに気付かされたようです。君子は豹変したのです。そんなこと考えたことがないという論に出会ったとき,柔軟に受け入れていく余裕が肝要です。
 かつては,人の考えや思いを受け取る手段は書物でした。一冊の本を読んでいくと,ページをめくっていくたびに自分の頭の畑が耕されて,章が改まると新しい種が植え込まれ,結びには見たこともない花が咲いてくると,読後には驚きと感動が湧き上がってきて,本を閉じたら知恵がより良い風に高まっていきます。小説における起承転結は,思考の書物では論理の展開であり,読み進む手続きが思考の構築の作業工程になります。しっかりとした考えを頭の回路に組み込むことができます。
 今の情報社会では,時間を掛けて論考を味わう暇がありません。生物的な頭脳の成長過程は,ネットのプロセスとは同期していません。生物的化学作用が排除されている情報体制は,いずれ人と解離をすることでしょう。そのとき,何が起こるのでしょう。

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(2023年04月09日:No.1202)