《有難い 考える種 また迫り》

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 紀元360年頃のことです。中国の晋に車胤という学問好きの少年がいました。家は貧しかったので昼は両親の手伝いをし,夜になって学問に励みますが,灯火の油を買うことができませんでした。月明かりで読書をしていましたが,月の出ない夜は文字が読めません。ある夏の夜,用事で出かけた帰りに川の近くを通ったとき,あちらこちらに蛍が飛んでいました。たくさん集めたら本が読めるかもしれないと,数十匹捕まえて袋に詰めて振ってみるとぱっと明るくなりました。袋を部屋につるして,その下で本を読みました。
 同じ頃の晋に,孫康という学問好きの少年がいました。貧しかったので灯火の油が買えず,月の明るい夜は読書できましたが,それ以外の夜は早く寝るしかありませんでした。北の寒い国だったので,蛍はいません。そのかわり,冬には雪が降り,古い雪が溶けないうちに新しい雪が積もり,夜の雪明かりは月の明るさほどになりました。そこで孫康は窓の下に雪を積んで,窓を開け放して寒さに耐えながら,雪明かりで読書に励みました。後に,蛍の光の車胤は将軍に,窓の雪の孫康は学者になりました。
 この蛍雪の功の故事を,昔の人は苦労したんだという感想で終わると,ただの無駄話に終わります。さらに今風な対応は,本当に蛍の光や窓の雪で本が読めるか試してみて,とても無理だという結果を突きつけてきます。荒唐無稽な話とばっさり切り捨てられます。灯火の油がないから読書はできないと諦めてしまうと,行き止まりです。その現実に止まることなく,なんとかできないかと現状の中で考えを巡らすこと,その頭遣いこそが大事なポイントです。思考を停止していないからこそ,読書による糧が実力に醸成されていきます。
 実生活の中では行き詰まりはつきものです。そこをなんとかならないかと問い続けてみる,その頭遣いが人生には必要だという故事を受け継いでいきたいものです。日々の暮らしでは大小さまざまな問題に出会いますが,その解決のために話し合ったり,他人の意見を聞いたりすることもあります。その先になんとかなるように考えるという頭遣いが必須です。だから生きていく生活は疲れますが,やり遂げた感が待っているのです。

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(2023年04月16日:No.1203)