《有難い 工夫をしたい 気持ちあり》

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 江戸時代の上方役者坂田藤十郎が京の万太夫座で興行をうったとき,江戸の役者村山平右衛門が京に上がってきて藤十郎の舞台に加わりました。興行が終わって平右衛門が江戸に帰ることになり,藤十郎は自宅へ平右衛門を招いてもてなしました。
 そのとき平右衛門が「このたびは,あなたさまを手本にさせていただき,大変なお陰をこうむりましてありがとうございます」と礼を述べたところ,藤十郎は首を振って「それは悪うございます。芸は自分の創意・工夫によって一流をなした方がよいのです。私を手本になされたら,私以上には出られますまい。今少し工夫をなさい」と言ったそうです。
 江戸の荒々しく勇ましい荒事(初代市川團十郎が創始者)とは対照的な上方の和事(女性的な柔らかみのあるせりふで恋愛描写をする演技)の創始者になった藤十郎の精進ぶりがうかがえる言葉です。
 芸は師匠を見習い伝えていくことで一派をなしていきます。引き継ぎながら工夫を添えていくことで,一門に発展をしていくのでしょう。芸に限らずに人は学びによって成長します。学びは,まねる→まねぶ→まなぶと変わってきたように,真似をすることです。先に生まれた人を先生としてまねをして成人します。子どもは親の背中を見て育つのです。それだけなら,親以上には出られません。多くの先人からの学びを集めることで,より多様な工夫を取り込まなければなりません。教育や啓発といった学びの活動が充実することによって社会は持続的な発展に向かっていくことができます。
 時の流れの中では,新旧という区別の指標がつきまといます。そのどちらに価値があるかという指標にする人も居るでしょうが,絶対ではありません。多様性という通念に収めておくべきです。高齢のものは旧を馴染み,若年のものは新を追い求める,そうかもしれませんが,そうでないこともあるはずです。工夫を凝らして新たなものを生み出していくと,人に対する貢献も進んでいくものもあります。それには,人の能力の工夫も伴わなければなりません。新しい機器は新しい能力を求めるのと同じです。

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(2023年04月23日:No.1204)