《有難い 心に響く 直向きさ》

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 ベートーベンは,音楽家にとって不可欠の耳が次第に聞こえなくなり,ついには全く用をなさなくなりました。かすかに感じられる振動を手がかりに,これまで磨いてきた感覚のすべてを駆使して作曲を続けました。絶望といらだちのために,何度挫折しそうになったことでしょう。
 一八二四年五月,ウィーンの劇場で新曲の発表演奏会が開かれました。耳を病むベートーベンが久々に書き上げた曲であるという。名のある演奏者がこぞって出演していました。その曲は第九交響曲と呼ばれることになる,彼の最後の交響曲です。満場が固唾を呑んで耳を傾けました。演奏は荘厳な見事なものであり,その場にいて感動しない者はなかったということです。
 やがて,すべての楽器が湧き上がるように鳴り出し,コーラスが一斉に歓喜の合唱を響かせました。曲が終わったとき,劇場は割れんばかりの拍手の嵐に包まれていました。しかし,その大音量もベートーベンの耳には届きませんでした。歌手が彼を促したので,ベートーベンは曲の成功をようやく目にしたのでした。ベートーベンの不屈の精神と努力が,耳の聞こえない者が作曲するという不可能事を成し遂げたのです。
 作曲者は頭の中の音を楽譜にしていくのでしょうが,具体的な演奏として耳で聞くという確認がどれほど必要なのか,素人には思いもよりません。楽聖と呼ばれているベートーベンならではの才能のすごさは凡夫の想像の閾を超えています。
 耳が聞こえないということがどういう事態であるのか想像すると,ベートーベンが成し遂げたことのすごさに圧倒されるばかりです。一方,音を失うという感覚を想うとき,ベートーベンが生み出そうとした音楽を受け取ることができるような気がします。この音を聞いたことがあるか,私には聞こえているという魂の叫びだからこそ,感動を呼び起こされてしまうのでしょう。想像という理解では無く,感魂という共鳴によって,人として寄り添うことも忘れないようにしたいものです。
 

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(2023年04月30日:No.1205)