《有難い 考えすぎて 眠気出る》

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 「旦那様,お茶をお持ちしました」。ヘルタはそっと仕事部屋のドアを開きました。「アリガトウ。ヘルタさん。そこに置いといてくれ」。いつもはさっぱりと片付いている机の上は書き散らかした紙片でいっぱいになっていました。「今晩は覚悟しなくっちゃね」。若いヘルタはふっと小さなため息を漏らしました。高名な旦那が何を考え詰めているのかちっとも分かりませんでしたが,「使用人の自分にも「さん」付けで呼んでくださる旦那様のためだもの,我慢しなくちゃ」と,ヘルタは早めにベッドに入ることにしました。
 真夜中にバイオリンの音。「ああ,やっぱり」。アインシュタインが使用人部屋の隣の台所で,即興のバイオリンを弾いているのです。思索に行き詰まると,こうして真夜中に台所でバイオリンを弾くのが常でした。台所はタイル張りでとてもきれいに音が響きます。次から次に幻想即興曲が奏でられます。そんなとき,ヘルタはベッドの中で身じろぎもしないで聞いていました。動くと,思索の邪魔をするような気がするからです。「そうか,分かったぞ」。突然大きな声がして,バイオリンが止みました。台所のドアがバタンと閉まり,足音が遠ざかります。ベッドの中でヘルタも手足をぐっと伸ばしました。
 パスカルが「人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。だがそれは考える葦である」と言っているように,いつも降りかかってくる難題がなんとかならないかと考えています。ときには,下手な考え休むに似たりという状況に陥りますが,難題に取り憑かれてしまうからです。状況を考えるという営みを通して一端受け入れた後,まったく無関係な方向に意識を逸らすと,思考の整理が進むことがあります。
 悩んでいるとき,別のことに関心を移してみると,思いもしないヒントがふっと訪れてきます。アインシュタインのように,悩んで堂々巡りに陥っている自分を,普段の気持ちに解き放してくれる行動をします。傍目八目の再現です。休むに似たりではなく,本当に休んでしまえばいいのです。休憩ではなく,休想をします。何をどう考えたらいいのか,選びかねているときは,意外と有効な対応になります。

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(2023年05月14日:No.1207)