《有難い 言葉足らずも 分かり合い》

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 アメリカ大統領リンカーンによる「人民の,人民による,人民のための政治」という言葉は,最もよく知られた名言の一つです。ゲティスバーグでの演説の一節でしたが,当時の新聞は別の政治家による感動的な大演説だけを報道しており,リンカーンのごく短い演説は一紙だけがかろうじて掲載していました。今にまで語り継がれているのは,この一紙のお陰です。ところで,この民主主義の本質を言い表したと思われている言葉,奴隷解放に尽力したリンカーンならではの台詞と思われていますが,実は作者は別にいます。
 1850年代を通じて,やはり奴隷廃止運動を勧めてきたセオドア・パーカーという牧師がその人で,彼の演説や説教を集めた本の一節に「民主主義は,すべての人々に及ぶ,すべての人々による,すべての人々のための直接政治である」があり,リンカーンはこの部分に下線を引いていたことが知られています。リンカーンは口調の良さを優先させて「すべての人々」を「人民」に変更したわけですが,「すべて」という言葉を取ったことで,本来のニュアンスが薄まってしまったという指摘もあるようです。
 書籍と演説という異なった発表の場にはそれぞれに相応しい表現があるはずなので,このような変動はあり得ることです。書き言葉と話し言葉の違いを持ち合わせている日本語では,このような言い換えは日常的なことです。例えば,「理解する」と書く言葉を「分かる」と言い換えることで,聴き取りやすくする工夫が対話の場では必要になります。その際に,書き言葉が伝えていたニュアンスが薄れてしまうという副作用は免れません。
 この違いを納得した上で更なる注意すべきことが出てきます。それは話し言葉を書き言葉に丁寧に書き換えることをせずに,そのまま話し言葉のままに書いてしまうと意味が伝わらなくなるかもしれないということです。SNSという書き言葉の世界に手短な話し言葉のままで書き込んでしまうと,伝わり方が大雑把になってしまい,そんなつもりで書いたのではないという事態を招きます。炎上という無作法な状況は,書き言葉の作法をないがしろにしていることから起こっているのです。
 普通にはよく話したり聞いたりしているのに,書いたり読んだりするのは苦手という場合があります。話したり聞いたりするところでは,分かった気になることで十分であり,直ぐ次に続いてくる話し聞く言葉に対処しなければなりません。ゆっくりと理解している暇はありません。書いて読む言葉があるところでは,そうはいきません。理解しておかないと,話が先に進むにつれてつじつまが合わなくなります。言葉の選び方,使い方が違います。ところで,連れ合いと「あれ」で通じる会話の世界,二人だけの世界にしか通じない言葉というのもあります。

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(2023年08月06日:No.1219)