《有難い 語る言葉が 相談に》

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 1953年11月にロンドンのチャド・ヴァラー教区司祭が,「サマリアびと」という自殺しそうな人のための電話相談室を発足しました。きっかけは最初の月経に恐怖を感じて自殺した若い女性を,雨の中で埋葬してやらなければならなかった司祭の経験によるものでした。実際に相談係を務めたボランティアの人たちは,専門のカウンセラーではありませんでしたが,ここでは電話に出て相手の話を聞いてやることがなにより肝心なこととされていました。アドバイスしたり,まして道徳的な判断を下すことはやるべきではないというのが,司祭の最初からの方針だったのです。
 この新しいサービスに必要なことは,誰でも覚えやすい電話番号でした。幸いなことに,司祭が所属する協会の番号が「マンションハウス9000」という番号だったので,相談室はこの簡単な番号でスタートされました。
 人間関係は人が幸せに生きることを支援するものであり,そのためにどのように自分を処するかという自由が各人に与えられています。側にいる人は,他者の生き方に対するお節介は侵害という形に陥る可能性があるために,他者の自己責任として放置してしまうことになります。そのような相互理解が普通になっていると,何事か困った状況に追い込まれ迷うことになっても,他人に厄介は掛けてはいけないと我慢するようになります。
 人のつながりはお互いに侵害しないことが必要なことは明らかですが,人が幸せに生きていくためにお互いに支援する関わりが十分なことなのです。人にできるだけ関わることがお互いを尊重するということなのです。生きることに躓いているときは,遠慮なく助けを求めていいのです。そのために相談という場が設けられているのです。自助努力という言葉がありますが,自分が自分を助ける努力だけではなく,他者に助けを求める努力もしていいのです。
 幸せは自分独り占めできるものではありません。幸せはとてもさみしがり屋なので,周りの皆が幸せであるという形が完成形です。お互いの幸せのためになるように,人は社会という結びつきを大事にして暮らしています。いざという時に支え合いの結びつきを稼働する他助への手続きが相談なのです。
 小中学生の子どもたちの行事で挨拶をする機会があり,幸せについて話しました。幸せという言葉は仕合わせ,し+あわせであり,「し」は「します」というようにすることであり,することを合わせるときに「仕合わせ」になると説明しておきました。人がお互いにすることを合わせていくことが幸せになる唯一の方法であり,自分ひとりでしてもしあわせにはなれないと結んでおきました。
 行事の感想文の中で数人のこどもが,「仕+合わせ」ということを知りましたと書いてくれていました。人との関わりの基本を自分の言葉として語ってくれたことで,記憶に残してくれたはずです。行事の挨拶という形であっても,「幸せってどうすればなれるの?」という子どもの相談に、大人が答える場に変えることができます。聴き取ったこどもは,そうなんだと思ったはずで,それは何となく迷いの状態にあったからです。相談に答えたことになったのです。

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(2023年08月13日:No.1220)