《有難い 直に触れあう 世に住んで》

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 いじめなどで無視するという意味の「シカト」は1980年代頃の若者言葉です。花札の10月札「シカト紅葉」の図柄を見ると,紅葉の横でシカが首を横に向けてソッポを向いて描かれています。花札は勝負事なのでポーカーフェイスで相手に何を言われても無視することがあります。その様子を連想して仲間内で「シカト」といいました。「ト」は10月のトです。これが一般にも流通して今日では,仲間はずれにする,無視するといった「いじめ」に関連付けていわれることもあります。
 不良になることを「グレる」と言います。不良は皆から「はぐれる」からではありません。平安時代に貴族の間で始まった「貝合わせ」という遊びがありました。ハマグリの2枚貝をバラバラにして何個か混ぜて,それぞれの相手を見つけるのです。2枚の貝は本来の相手としか合いません。トランプの神経衰弱のようなものです。相手と合わなかったハマグリをグリハマと言っていました。このグリハマがグレハマに音転化して,やがてグレルとなりました。これを語源として,ちゃんとしていないこと,さらに不良になることもグレるとなりました。
 人間関係が拗れることがあります。そのときに人がする行動は関係を外すことです。交わりがなくなれば,取りあえず痛みや不都合な状況を無くすことができるからです。関わりたくないから相手を外そうとするシカト,関わりたくないから自分から外れていくグレる,ベクトルの向きは違いますが,それまでの関係につながる世間を失うことになります。
 代わりになる新たな世間を直ぐに得ることができればいいのですが,簡単ではないでしょう。つながる世間を修復する努力をするのであれば,縁結びの第三者に頼ることです。3人以上の結びつきが多重に保たれている状況にある時に,社会は健全に機能していくようになります。夫婦二人の関係では,子どもがかすがいになるという故事が教えてくれます。ただし,最近は子はかすがいとはならずに,養育権利というか,養育義務というか,クールで新たなつながりに出会うことになるようです。
 情報社会に変わってきたことから,人のつながりが肉声からスマホなどの機器による音声文字映像情報に支えられるようになりました。どこの誰と繋がるかということが指先で選べるようになりました。実態から離れた仮想空間の関係が主流になっています。そこで現れた炎上や詐欺メールといった不都合な事態は,仮想空間を実空間につなげてしまうからです。古典的な直接の関係を生活の基盤に置くようにしていくことです。

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(2023年09月03日:No.1223)