《有難い 表の動き 裏照らす》

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 近衛内閣の商工相として政界に進出した池田成彬が,まだ12,3歳の少年の頃のことです。池田の住んでいた米沢の新聞に米の安売りのニュースが載りました。相場よりも1銭ほど安く売っている者がいるが,感心なことである,という内容でした。
 成彬がそれを読んで「広告だ」というと,父が恐い顔をして諭しました。「そういうことを言うものではない。たとえどんな理由があるにせよ,相場より安く売ることはいいことではないか。また,たとえどんな理由があるにせよ,新聞がそれをほめることもいいことではないか。物事は,まず正面から見ることだ。ひねくれて見てはいけない」。
 父のそのときの言葉は,そののちも成彬の頭に妙に残って忘れられなくなりました。そのせいかどうか,成彬は人からよく「きみは物事を正面から見すぎる」と言われました。これに対して,成彬は「疑うのは,必要があってはじめて疑えばいいので,先ず正面から見ることだ。少なくとも、私はそういうふうにして,しかも,余り人にだまされることもなく一生を送ってきたと思っている」と語っています。
 人との関係における大事な気遣いとして求められる思いやりとは,他人の気持ちに配慮した上で,相手が何を望んでいるのかを推察し,接することです。この行為のポイントは、相手の望みを推察することです。普段から付き合いがあって気心の知れた相手であれば,推察はほぼ外れないことでしょう。ところが,付き合いのない人の気心はまったく透明になり,推察のしようがありません。そこでほとんど無意識的に自分の思いをやってしまうことになります。
 知らない人の所業は、正面から見てよいことならよいと,素直に認めておけばいいでしょう。相手の思いに下心や邪心があると見抜いてみせる賢さを示そうとしても,それは自分なら下心からしていると、自分の思いを吐露しているに過ぎません。ネットの世界でよく知らない人のことをあれこれ言う言質が見られますが,それは言っている本人の下心に他なりません。知らない人の気心は分からないのです。正面から見ることで,自分の下心を検認することができます。
 あえて処世訓風に考えていくと,正面から見てばかりではだまされてひどい目にあうかもしれません。そうならないためには,信用をしても信頼をしなければいいのです。用いていると,直ぐに真偽は現れてくるものです。頼ってしまうと,その確認の過程を放棄してしまいます。真っ直ぐに向き合うようにしたいものです。

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(2023年11月05日:No.1232)