家庭の窓
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前会長と言ったような前の字がつく立場で古巣を訪ねる機会がありました。未だ間もない時期ですので出会う方たちには変わりはありません。ごく当たり前のように迎えてくれましたが,こちらとしては居心地の変化を感じざるを得ませんでした。自分の居場所ではない,居場所だったという思いで周りを見渡していました。訪問の用件までの待ち時間に語り合う話では,今のこと,これからのことではなく,これまでの振り返りになっていました。縁の切断を感じました。
用件である講演の前振りでは,これまでのご縁に触れて感謝という流れになります。自ら前職という一線を引かざるを得ません。身体に馴染んだ環境への反応を消すというのは急にはできないようです。別に急いで消したいわけではないので構わないのですが,そういう自分を見届けているだけです。新しい環境に入ることがあれば上書きされて前職は消え去っていくはずですが,新たな職が訪れそうもないので消えにくいことでしょう。
幼い頃から父親の仕事の関係で居住地が変わり,環境の激変を何度も経験したので,今から以後だけに気持ちを寄せていくことに慣れています。一期一会という言葉があります。その真意がどういうものかつまびらかではありませんが,これまでには一度きりの出会いを大切にしてきましたので,し残しはないはずです。出会ってきた方とたくさんの別れもありましたが,いつ再会しても素直に笑顔で語り合えることでしょう。楽しみだけが残っています。
多少の暇が出てきたので,その穴埋めをしてみようと思い立っています。職に絡んで活動をする過程で学んだ経験知があり,眠らせておくのも惜しいと感じています。手渡す相手もいないので,ホームページで発信しておこうと考えているところです。誰かの参考にでもなってくれたら,そういう運命の糸任せの戯れ言です。何かをしている,それが今を大切にすることになるはずです。
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