《隣人は 地域ネットの 接続点》

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 男性のお年寄りと話していると,「昔は」とか,「若い頃は」という青年時代までの思い出話になります。自分から話し始めるときには,所帯を持って仕事をしていた時代の話は滅多に出てきません。どうして古い話ばかりをしたがるのでしょうか?
 仕事時代はしなければならないことをしていただけで,自分の気持ちとは別のことをさせられていたということのようです。自分が主体的に生きていたわけではないので,自分の思い出として受け入れる気持ちにはならないのです。自分が生きていたのは,青春時代までということです。
 人生の大部分を仕事と二人三脚で過ごすのが普通でしょう。となると,青春時代と余生という人生の前後数十年が,本当の意味で自分の人生になります。家族のために身を粉にして働いてきた,それはそれなりに充実していたはずです。しかしながら,子どもたちは独立して家を後にします。老夫婦は文字通り「残された」という悲哀に包まれます。家族として過ごしてきた数十年はいったい何であったのだろう? そんな思いが自分の振り出しである青春時代に回帰させるのかもしれません。
 もう一つ大きな理由があることに気付かされます。女性のお年寄りの元気さです。「昔は」という語りかけはほとんど耳にしません。常に「今か,明日か」です。同じ家族のパートナーでありながら,この高齢の夫婦間に見られる違いはどういうことなのでしょう。
 おじいちゃんとおばあちゃんの違いは,地域社会への関わり方にあります。おじいちゃんは仕事の面での社会性は持っていましたが,仕事から離れると雲散霧消してしまいます。金の切れ目が縁の切れ目です。一方で,おばあちゃんは暮らしという面で地域社会に人脈を作ってきました。そのネットワークはお互いに生きることに直結しているので,途絶えようがありません。おばあちゃんには「昔は」と改めて振り返るものはなく,つねに「今は」なのです。
 職住分離が進み,男女機会均等,男女共同参画のうねりの中で,女性が職を持つようになりました。仕事に生き甲斐を持ち,地域は寝る場所,休む場所に縮小されていきます。やがて,おばあちゃんも「昔は」と,孤立した施設の中でお互いの青春時代を語り合うことになるようです。そのことを覚悟していればいいのですが,こんなはずではなかったという後悔を恐れるなら,今からでもさっそく手を打っておいた方がいいでしょう。
 いつまでも現役で生き続ける,生きる場所を持ち続ける,今を語り続けるためには,自分が今いる場所を大事にすることです。あそこにはやがて行けなくなるときが来ますが,ここはいつまでもここなのです。青い鳥は今ここにいる,そうなるにはちょっとした心掛け一つです。

(2002年08月18日号:No.125)