《何をした 問われて困る 雑務人》

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 今日一日,自分は何をしたのかな? 格別に何かをしたと言えないのが,普段の生活です。履歴書を書くとき,賞罰や業績を書く欄が困ります。ことさら言い募るほどのことをしてきたのではなく,ただ平凡に過ごしてきた身に,業績という字は重く感じられます。それらしい事績で誤魔化してしまいますが,いいのかなと思ったりします。
 組織活動の報告書を目にする立場にいると,それぞれの組織がたいへんな活動をしていることが伝わってきます。例えば,報告書には「○○祭り」とだけ行事名が記入されています。その一語が実際にはどれほどの手間と気苦労に支えられているかを思うとき,報告書の重みを感じます。
 報告書を扱うときには,例えば記入の仕方が不適切だとか,不揃いだとか,記入漏れがあるとか,書類上の不備がさも大事なことのように指摘される場合があります。それは現場の苦労に比べれば,大した問題ではないのです。一行を書くのにどれほどの時間と費用を掛けていることでしょう。書類上のことなどほんの数分の手間で解決することです。
 組織には縦の関係があります。トップとボトムがあります。トップがボトムの重みを理解していないと,二つの歯車は空滑りをします。トップはボトムが動きやすくなるように気配りをする役目を負っています。そのために舵取りをしているのです。
 何か物事をしようとすると,たくさんの雑用が付随してきます。トップは単純に会議を開くとだけ言えば済みますが,そのためには,場所の確保,書類等の用意,お茶・昼食の手配,諸連絡たくさんの作業があります。そんな会議を何度か開いても,それは事績にはなりません。準備の中に括り込まれます。威張って何かをしたというほどのものではないのです。
 今日一日,何をしたのかな? 忙しくバタバタした割には,何もしていない! そんな名もないたくさんの仕事の上に,ちょっぴりと目立つものが乗っている,それが人の仕事というものです。組織では目立つ部分をトップだけが自分の業績と名乗っていきます。記録に残らない仕事は,無に等しくなります。雑用を引き受ける人がいるから事は実現するのですが,そこを認めてくれる人はいません。
 今,この名もない仕事を淡々とこなす人が少なくなってきました。どうせ雑用だからといい加減な仕事で済ませようとします。目立つことだけにしか価値を認めない風潮があらわになっています。本当の仕事人,それは自分の仕事を自分でほめてやれる人です。人にほめられようとすれば,自分に正直にはなれないことを分かって欲しいものです。
 人の仕事を見るときには,その背後にある大きな雑用を思いやることが礼儀です。

(2002年08月25日号:No.126)