家庭の窓
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世界は無限と言うしかないほどの多量な要素で構成されています。人は世界を理解するために言葉を使っています。ただ,その対応は恐ろしいほど簡素です。例えば,赤い夕日という言葉で表している赤いという色,さまざまな表現があります。検索してみると,真紅(しんく),朱(あけ),丹(に),紅(べに),
緋(ひ),赫々(たる)などが示されます。色番号ではもっと細分化されます。赤いい夕日という言葉からイメージされる風景は,人それぞれの経験によって千差万別です。
人を表す言葉も,男や女,幼児,子ども,小中学生,高校生に大学生,青年,少年に少女,大人,高齢者,おじさんにおばさん,それぞれが表す言葉に該当する人は何人いることでしょう。例えば,少子化といわれる中,子どもは15歳未満の男女,2023年4月1日時点で1435万人ということです。とてもイメージできる人数ではありません。
手元の新聞を見ていると,投稿欄で最近取り上げられているものの中に,議員のパーティー券の処理に対するコメントがかなりあります。折しも確定申告の時期でもあって,納税という負担の不公平感が動機となっているようです。そこで気になっているのが,政治家は国民のことを考えてといった類いの論での責め立てがあります。
その趣旨には問題はないのですが,政治家や国民という言葉に少し気になっています。政治家とは,国会の議員,地方議会の議員,政治活動をしている人を表しています。問題になっているのは,国会議員のある部分の人です。全ての国会議員ではないでしょう。地方議会の議員も部外者です。一方で,国民という言葉も日本中の人であって,そこには政治家も含みます。国会議員と対するのは衆参議院議員の選挙民です。
ごく一部の人のことを言い立てるときに,近頃の若者はとか,日本人はとか,外国人はとか,年寄りはとか,表現されていますが,言っている人は一人です。一人の人がどれほどの人をご存じなのでしょうか? 10000人の人を知っている人は少ないでしょう。普通には1000人以下でしょう。いかにも日本中の人を知っているような物言いは,無理な力みにしか思われません。
ネット社会では,フォロワーが数十万人といった人数が語られますが,それは投稿者が知られているという人数であり,投稿者が知っている人数ではありません。人生で出会う人の数について,検索すると,以下はその一例です。
人生でなんらかの接点を持つ人は,30,000人。
学校や仕事を通じて近い関係になる人は,3,000人。
親しい会話ができる人は,300人。
友達と呼べる人は,30人。
親友と呼べる人は,3人。
世間の人のことを知っているようで思っているほどは知りえないということです。人口3万人の小さな町の人を全員知っているといった程度なのです。いかにも国を背負っているように正論を述べることができるほど,実情を把握しているのか,思い返してみると怖いことです。
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