《有難い 言葉の力 見極めて》

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 手元の小さなメモを眺めていると,言葉のバトンタッチの思わぬ展開を示す例がありました。学校教育で「他人の意見を尊重しよう」と教えると,子どもは「他人の意見に水を差すのはよくない」と覚え,異議はいちゃもんと思ってしまうという指摘です。もう一つは世間で「結論を先に言え」といわれていると,若者は「結論を早く教えて」となるようです。
 尊重するとは,尊いものとして大切に扱うことです。人の意見を尊重することと,違った意見を持つことは矛盾しません。無理に他人の意見に従う必要はありません。あなたはあなた,私は私でいいのです。他人を否定するのではなく,お互いを尊重しあうのです。異議を他人に突きつけると,そのこと自体は尊重から外れることになりますが,お互いの違いを乗り越えて新たな意見を探っていけば,より深い意見に至ることもできます。それも高次元の尊重になるはずです。
 結論を先に言うか,先に教えて欲しいかは,立場によって意味が違うはずです。結論を先に言えという人は,全体の状況を既に知っているから,結論で通じます。一方結論を早く教えてという若者は,結論を教わっても,その意味や価値を判断できる状況には至っていないでしょう。「そうなんですね」という所で留まってしまうだけです。結論を聞くには,それなりの実力が必要なのです。
 言葉を誰かに向けて発するとき,伝えたいことを表す言葉を選んで提供します。言葉を受け取った人は,言葉に自分の思いを重ねて判断します。話者と聴者の言葉のイメージが重なっている程度に応じて,伝わり程度が左右されます。ツーカーの仲では直結するでしょうし,初対面同士であればどういうつもりという伝わり方に止まるはずです。丁寧に伝えるという所作が不可欠です。
 ネット上での言葉のやりとりが危ういのは,一つの言葉の解釈がまさに千差万別であるということを前提に発信・受信をしていないことです。直接の言葉のやりとりでもすれ違いや思い違いが紛れ込むのに,見ず知らずの人の間で丁寧な補足説明もないままの直文のやりとりは,伝言ゲームの曖昧さと同じような伝達度に止まるはずです。文章を書いている人は,時間を経た後にもう一度読んでみることです。この部分はどういうことなのかと,自分の文章ながら解釈し辛い箇所があります。そういう点で,言葉は人と共に今に生きているのです。

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(2024年03月24日:No.1252)